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卒園式に出席した息子

僕は聖教新聞に勤めて16年目の記者です。妻、小学1年の息子、幼稚園年少の娘と4人で暮らしています。2019年に第2子が誕生し、翌年にはコロナ禍のステイホームを経験して、子育てにもっと関わりたいと思うようになりました。そうした中、長男が「幼稚園に行きたくない」と宣言。小学校に入学してからも、学校に行ったり行かなかったりという今に至ります。家族と歩む中で、僕自身もメンタルヘルスを崩したり、部署を異動したり、いろいろなことを経験しました。それは、今も現在進行形で、僕という人間を大きく育ててくれています。そんなわけで、「育自」日記として、思い出を含めて書いていきたいと思います。

「ともだちと、おわかれしてくるよ」

僕ら親が進学先の小学校を模索していたのと同時期、息子には、ある変化がありました。

幼稚園の年長になって間もなく、2022年の4月下旬から幼稚園に行かなくなった息子。その息子が2023年の年明け、3学期から幼稚園に行き始めたのです。療育の教室に「あきたから」というのと、「ともだちとあそびたい」というのが本人の言い分でした。(飽きたと言うものの、療育の教室は継続して通いました)
 
当時の僕は、〝え、幼稚園行ってくれるの? やったー〟と思いました。その半面、この8カ月間、息子の様子を見てきたので、〝幼稚園の集団生活はストレスになるのでは?〟とも。結局は、本人が言い出した以上、止めるのも違う気がして、登園を再開することになりました。
親のそばを離れることへの〝分離不安〟は続いていますから、一人で園にいることはできません。幼稚園の許可を得て、妻か僕が園に同伴するようにしました。

幼稚園時代に息子がくれたプレゼント

くしくも、小学校入学前に〝教室への同伴〟の機会を得て、幼児教育の現場の一つをじかに見たわけですが、幼稚園の先生は〝本当に大変だな〟と思いました。

20数人のクラスで、その子どもたちに、朝の会に始まり集団行動を通して話を聞く姿勢を教え、合唱の伴奏や、絵や文字をかいたり、工作をおこなったり。それとは別に、体育指導や音楽指導、劇など行事の練習もあります。体育と音楽は専門の先生が担当していましたが、とにかく、分刻みのスケジュール。僕は教室の後方にちょこんと座って息子を見ていましたが、〝もう先生は、忙しさで僕の存在すら忘れているだろうな〟と思いました。
 
息子が通った幼稚園は、地域でも有名な、評判の良い幼稚園です。年長までの間に、ほとんどのお子さんがきちんと座って大人の話を聞けるようになっていて、ある程度の読み書きができるようになっている、いわゆる〝プレ小学校〟といって差し支えないと思います。運動会はもちろん、学芸会や音楽発表会などの行事も多く、そこでの演目の難易度も高いです。
 
実は、息子は幼稚園に行きたくない理由を、不登園になった年長の春の段階で言葉にしていました。「(担任の)せんせいと、えんちょうせんせいが、きらいだから」だそうです。何が嫌なのか具体的な言及はないので、そのお2人から、何か不適切な言動を受けたとは考えていません。親としては、幼稚園という「制度」(生活のルールというか、規範)を代表する大人が、その2人だったのだと理解しています。

tatsushi–stock.adobe.com

客観的に見て、幼稚園に非はありません。その上で、付き添い登園をしてみて、よく分かりました。
〝高速サーキットを走るレーシングカーのような生活は、うちの息子にとっては、しんどかっただろうな〟と。
 
そう考えれば自然なことですが、息子の登園のペースは、3学期の初週は週4日くらい行ったものの、週を追うごとに回数は減っていき、週に1日行くか行かないかという頻度で落ち着きました。
幼稚園の配慮もあり、登園した日は無理に教室に居させることはせず、部屋を出たり入ったりしながら、園庭で自由に過ごさせてもらいました。

僕から「無理に幼稚園に行かなくてもいいよ」と言ったこともあります。(当時は幼稚園に行ってほしいという気持ちもありましたが、無理をさせたくないという気持ちも強く、そのせめぎ合いでした)

息子はエネルギーがたまると「あしたはようちえんにいく」と言い出します。「ともだちとあそびたいから」と。
 
息子と過ごすうちに、だんだんと、彼が幼稚園について〝大人に何かをやらされる場所〟と〝友達と遊べる場所〟という二つの側面を認識して、立て分けていることが分かりました。
 
ある時、卒園に際して〝幼稚園で良かったことを紙に書く〟という作業がありました。息子はなんと書いたのか――。
 
「✕✕✕✕ なし」
 
〝大人に何かをやらされる場所〟への息子の意思表示に、僕は、妻と2人で声をあげて笑ってしまいました。
 
3月に入り、卒園式が迫ってきました。式の前日には、本番同様に、予行練習を1時間30分余りやるとのこと。2年前の年少の修了式のことが頭をよぎりました。皆と参加することができず、僕と後ろから式を眺めていた息子。そのことを思い出し、僕は伝えました。

「行きたくなかったら、卒園式、行かなくていいと思うよ」
 
息子は答えました。
「いくよ。もう、ともだちとあえなくなるからね。しんゆうもいるんだ。おわかれしてくる。パパはこないでね。ママといく」

幼稚園に入園して間もない頃の休日に

やりたくもない集団行動を、1時間30分以上、やる。そして本番も同じだけの時間、式典で決められた行動を取る。息子にとっては〝苦痛〟でしょう。でも、自分で、幼稚園のもう一つの側面である友達と、「おわかれをするために」行くというのです。
 
僕は「お、そう、分かったー」とだけ言いました。
〝どうせ参加するなら僕も居た方がいいし、行きたいな〟とも感じつつ、〝息子も勝負をかけている〟と思ったからです。

というのも、僕が付き添い登園する日は、息子は、必要以上には(心の限界がくるまでは)僕に近寄ってこないのが常でした。息子も、寂しかったり不安だったりすると思うのですが、その様子からは、父親に対する意地みたいなものを感じていました。(妻の話も総合すると、ママと一緒の時のほうが近寄ってくる頻度も多く、その分不安を軽減できるので、部屋にも長く居られたようです)
 
それならば、一番安心できるママと一緒に臨んだ方がいい。息子にとって良いことが「✕✕✕✕ なし」だった幼稚園の式典に、それでもあえて行くと言うのだから。腹を決めている息子に、僕が親としてできることは、せめて彼が考えた通りの形で、応援することだと思いました。
 
卒園式の日。
下の娘と留守番をして、妻と息子の帰りを待ちました。
半日して、妻と息子は帰ってきました。
「お疲れー」と声をかける僕に、息子は「うん」と言って可もなく不可もなくという様子でしたが、ネガティブな印象は受けませんでした。妻が、スマホのカメラで撮ってきてくれた映像を、僕に見せてくれました。
 
そこには、卒園証書をもらう息子の姿が収められていました。
舞台下手から入って園長に一礼、一歩出て、証書を受けとり、二つに折って右手に持つ。一歩下がってまた一礼。そのまま舞台上手に進み来賓に一礼、そして場内を一周するようにして自席に戻る。

100人ほどの卒園生の中で、息子は、ただ一人の私服。お気に入りの長袖ポロシャツにコーディロイの長ズボンという姿です。(不登園になって以来、「ぜったいに、せいふくはきない」と言って通した息子でした。それを認めてくれた幼稚園にも、感謝しています)

映像を見ていて、自分の幼稚園の頃を思い出しました。僕は、仲の良い4人グループの一人で、寂しがりやで泣き虫で、ちょっとでも周りと違っていることがあると不安になり、歩調を合わせる園児でした。
 
かつての僕と息子は、容姿がかなり似ています。(僕の父母は「昔の息子にまた会えた」と本気で言います)
そんな〝僕と似ている息子〟をスマホの映像で見て、込み上げてくる感情がありました。

卒園証書を受け取る息子

〝この感情は、一体何なのだろう〟
映像を見て、考えている自分がいました。
 
称賛――〝よく頑張ったな〟という思いか。いや、違う気がする。卒園式に出たから偉い? じゃあ出なかったら偉くないのか。そうじゃないはず。
 
尊敬――親子とか年齢とか関係なく、自分で考え行動してきたことに、敬意を感じている? それは間違いない。でもまだ、僕の感情を表すのには、適切な言葉がある気がする。
 
憧れ。
ああ、そうだ。僕は息子の生き方に、憧れを抱いているんだ。息子の姿からは、僕の幼稚園時代とは違う輝きを感じる。幼稚園の意味を自分なりに捉え、3年間在籍してきたことの答えとして、「えんがだいきらいだけど、ともだちがだいすき」という主張を、身をもって示しに行った。
 
〝昔の俺にはそんなこと、できなかったなあ〟
 
スマホの映像の後には、写真も何枚か収められていました。その中の1枚に、式典会場を退場する際の、息子の姿がありました。ピントがブレブレの写真の中にいる息子は、その日一番の笑顔でした。

息子がまだ、比較的多く幼稚園に通っていた、年中クラスの運動会の時などには、カメラや専用のレンズをレンタルして、ピントもばっちり合わせて、背景がトロトロにボケまくった写真を何枚も撮りました。

かっこいい写真の数々は、今も宝物です。でも、妻のスマホで撮ったその笑顔の写真には、僕の撮ったどの写真も、かなわないと思いました。
 
妻のスマホの映像と写真を見終わって、息子のところへ行きました。最後まで〝自分の筋を通した〟息子には、先程、家に帰ってきた時と同じように、もう一度「お疲れさま」とだけ伝えました。
 
言葉で伝えると難しくなるので、加えて抱きしめたかったのですが、僕が息子の立場なら、腹を決めて〝戦って〟きた時には、派手にねぎらってもらいたくはない。特に「パパはこないで」と言った日ならば、なおさらだろうと思いました。
 
でも今も、心から思っています。
本当に、お疲れさま。
 
(つづく)

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