イラハイ 佐藤哲也
この一冊がいかに優れた国語(日本という国の言語を使った文章の構成)によって綴られているものであるかを説明する力を私は持ち合わせていない。
それを悔しいとは思わない。なぜなら私はここに綴られた内容の3割も読解出来てはいないだろうからだ。
正しいと確信を持って言えることは、例えば広辞苑(これは必ずしも広辞苑でなくとも、あらゆる辞書と呼ばれる分厚い書物に頼る)に載っている単語の6割7割を著者が自由に使える能力を身につけているとしたら、私が1割にも満たないその能力の乏しさによって理解