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自分らしい生き方とは?

自分らしい生き方とは、自分のモノサシをもつことから始まる

私は、自分らしい生き方を実現したいと強く思っている。自分らしい生き方とは、人生という限られた時間の中で、自分が心から満足できることに時間を費やし、達成感や充実感という幸福を味わうことを目指して、人生を歩んでいくという事だ。それは、社会や他人に認められたり、称賛されることを目指して歩んでいくことではない。自分を評価するのは自分自身であり、自分自身が感じた達成感は、自己肯定感を高め、自分自身をより成長させたいというエネルギーを生み出しながら、次なるチャレンジに挑んでいく。ライバルは常に自分自身であり、誰かと同じトラックで競争する人生ではなく、自分が進むべき道を、自分のペースでひたすら登っていくことである。

社会や他人のモノサシに翻弄され劣等感を抱えていた過去

今までの私の人生は、常に他人と比較し、社会に、会社に、上司に、友人に認められたくて、ひたすらにもがき続ける人生だった。そして、誰かに評価されたときは喜び、誰かに否定されるとひどく落ち込む毎日だった。そして最近気づいたことは、誰かに評価されたことが自分の人生の何のためになるのだろう、ということだった。承認される、評価されるということは、他人が行う事であり、それ自体をコントロールすることは不可能なのである。優しい上司もいれば、価値観が異なる上司もいる。そんな状況でいちいち承認されなかったという事態に直面するたびに落ち込み、自己嫌悪に陥って自信を失っていくことは、非常にナンセンスでバカバカしいことではないか、と気づいたのだ。

また、人はそれぞれ異なる能力や特性を持っており、一律に周囲の人と比較することは、自分自身を高める上で本当に正しい方法なのか?という事に疑問を持つようになった。自分が周囲の人よりも能力が勝っていた、結果が一番だったことで喜ぶことは、どんな意味があるのだろうか?それは、そのときの環境がたまたまそうだっただけで、喜ぶべきことなのだろうか?逆に、自分は一生懸命努力しても、周囲に劣ってしまう。そして自分はダメな奴だ、と自分を卑下し、自信を失っていくことは、どんな意味があるのだろうか?

自分らしく生きる、とは周囲の人とは異なる道を歩んでいるイメージ

社会や他人と比較するのではなく、昨日の自分と比較して、昨日よりも少し上達した自分に目を向け、自分の努力を自分が称賛する、そんな積み重ねが
自分自身と向き合い自己肯定感を上げていく最善策であり、他人と比較しないことで、他人の成功も心から喜べるようになるのではないだろうか?
例えば、同期入社の同僚が身近にいる場合、同僚と同じトラックで常に競争しているイメージで取り組んでいると、同僚のリードや成功が自分自身の不安を増幅させ、同僚の足を引っ張りたくなったり、同僚の成功を喜べなくなってしまう。しかし、自分と同僚がそれぞれ違った道を登っているイメージで考えると、同僚が異なる道を登っている姿を見て、自分も頑張ろうと感じたり、同僚の姿を応援したいと心から思えるのではないだろうか?

自分の道をブレずに突き進むには

人と比較せずに、誰かに認められたいと承認欲求を持たずに、自分自身の道を歩んでいくこと、それは容易いようで現実社会では実に難しい。そう感じるのは私だけではないだろう。常に人は、上司や同僚、そして出世やお金といった社会的背景に翻弄され、その期待に応えたい、という欲求に心動かされるものだ。それはまさに、我が道を進もうとコンパスを見つめると、すさまじい磁力で、社会や他人の期待に応える道にコンパスの針が引っ張られる。コンパスの針は人の心情のようであり、気づけば自分が本来進もうとしていた道を忘れ、社会や他人が定めた道に進んでしまう、そんなイメージだ。だからこそ、自分の進むべき道、自分らしい生き方を定める自分の価値観、基準値となる自分のモノサシを明確にする必要があるのだ。

自分の持つ限られた資源(能力・特性)を活かして努力すること

人はみな、生まれながらにして持つ才能や能力があれば、経験を通じて培ってきた能力もあるだろう。そうした自分自身が持つ資源をいかに最大限に生かして、自分自身の成長を促していけるか?その1点に注力することが、最も意味のある努力であり、その中で感じることができた達成感や満足感は、自分自身を心から肯定し、称賛できる大きな幸福感に包まれる。そんな幸福感を得るために、自分自身の歩みを進めていくことは、実に楽しく、幸せであるか、ということが見えてくるのである。そして、自分自身が幸せを実感できれば、他人にも優しくなれ、世の中の平和を心から願う成熟した人格が形成されるのだと思う。私は改めて、自分らしい生き方を歩んでいきたいと思う。



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