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マドンナ 第5話《待ち合わせ》【短編小説】

 津先つさき駅の地下改札を抜けたユースケは、待ち合わせ場所を軽く歩き、モナがまだ来ていないことを確認した。
 集合時間の三十分前。予定通りモナより先の到着である。
 ユースケはスマホを取り出し、モナとのLINEの会話を遡る。画面には「あした楽しみ」とか「美術館デートって実は人生で初めて」などの一言に、ニコニコした絵文字やハートマークが踊っている。モナの言葉を見るだけで心が満たされ、顔がだらしなくほころぶ。
 電車を降りた一団が地下からエスカレーターに乗って改札に現れると、その流れにモナがいないか確かめた。一連の集団の中にいないことが分かると、スマホに目を戻し、また顔がにやける。そんなことをずっと繰り返していた。
「もうそろそろかな」
 五分前になったところでスマホの画面を真っ暗にし、反射して映る顔を見て目ヤニやハナクソが付いてないか確かめた。
 さて、ここで大事なのは、待った素振りを見せないことである。女を待たせるのはご法度はっとだが、待ちくたびれた様子を見せてもいけない。紳士な男は大変だ。
「オレもいま来たところ」
 口にしてみたが、調子がイマイチだ。喉にたんが絡んでいる。
 喉を鳴らして咳払いをし、コートのポケットから携帯用のマウスウォッシュスプレーを口の中に吹きつけて、同じセリフを繰り返す。明るいトーンで言ったり、ちょっと低めでダンディに言ってみたり、ちょうどいい《オレもいま来たところ》を探した。
 時計に目をやると残り一分。
「もうそろそろ来ないと時間になっちゃいますよ」
 誰に言うでもなく呟いたのを合図に、またひとかたまりの集団が流れてきた。
 身体を上下左右にしきり振りながらモナの姿を探す。間もなくポツポツと人が尻すぼんでいくと、人が途絶えた。集合時間の十五時が過ぎた。
 モナはまだ現れない。もう一度LINEを開くがメッセージもない。
 ――まさか、ドタキャン?
 ユースケに、一抹いちまつの不安がよぎった。
「いや、うろたえるな。うろたえるな、オレ。まだ十秒過ぎただけだろ」
 思わず口からこぼれる。
 それでも身体はその言い聞かせを無視し、今どの辺りですかと、メッセージを打ち込んでいた。
『せっかちな男は嫌われる』
 送信ボタンをタップしかけて、ユースケはふと動きを止めた。
 サチの言葉が頭を過った。
『ルーズでだらしないのもダメですが、かと言ってキッチリし過ぎて神経質なのも考えものです。あまりアレコレ言われるとプレッシャーや束縛感を感じて女性はストレスを抱えてしまいます。心の器を広く、小さなことを気にしないように振る舞えば好感を抱かれやすくなります』
 ――そうだった。
 こんなことで心を乱しては小さい男と思われる。この状況は男としての価値が試されているのだ。
 ゆとり。
 男としての気構え。
 相手が集合時間に間に合わなかったならば、上手くフォローする言葉をかけてやる。そう考えれば、これはむしろ株を上げるチャンスではないか。
 そうなると第一声のセリフも変更する必要がある。《オレもいま来たところ》でも間違いではないが、やや弱い。
《実はオレも遅れちゃってさ。いま来たところなんだよ》
 これなら、遅れたのはモナだけではないと思わせられる。完璧なフォローではないか。
 今度はちょうどいい《実はオレも遅れちゃってさ。いま来たところなんだよ》を、ユースケは探り始めた。
 すると、LINEの着信音が鳴った。
 モナからである。
〈いまどちらにいますか? 改札で待ってます〉
 ――あれ?
 辺りを見回すが、モナらしき姿が見当たらない。
 文字を打つのが面倒だと電話をかけると、すぐに出た。
「もしもし。オレも改札いるんだけど、どこにいる?」
〈もしかして中央改札ですか?〉
 ふと改札口に目を移すと、中央改札と書いてある。
「うん。中央改札」
〈わたし、北改札にいるんです。浜側はまがわ美術館の出口がこっちにあるんで〉
「あ、そうなの? じゃ、すぐそっちに行くから。待ってて」
 電話を切ると、背後にあった構内案内図で浜側はまがわ美術館と書かれた出口を確認して、そっちの方へ歩き出した。
 津先つさき駅には出口が八つあり、中央改札からいずれの出口へも行けるのだが、浜側美術館を含めた六つの出口は、北改札を抜けた方が近い。ユースケはそのことを知らずに、メインの中央改札で待っていた。もっと、よく確認しておくべきだったと、自責の念に駆られた。
 小走りになりながら駅構内の案内に従い、北改札に到着すると、スマホに目を落としているモナを見つけた。
「ごめん、こっちにも改札あったんだ。待った?」
「ううん。いま来たところです」
 セリフを取られてしまった。
 三十分前に到着し、用意周到にしていたあの時間は何だったのか。
 自分から「待った?」と訊いてしまったら、当然相手はそう答える。しかし、この場面でそう訊かないわけにもいかない。となると、この涙ぐましい努力は水泡に帰してしまうのか。その虚しさに耐えられず、ユースケはどうしようもなく弁解したい気持ちになった。
「あ、あの、遅れたわけじゃないんだよ。二時半には着いてて」
「え? 集合、二時半でしたっけ?」
 モナがビックリして狼狽うろたえる。
「いや! いや、三時で合ってるの、三時で。ちょっと早く着いちゃって」
「あ、そうだったんですか。ごめんなさい、待たせちゃって」
「全然! 三十分ぐらいは待ったうちにならないから。ほとんど、いま来たところ」
「はい?」
 ムリに「いま来たところ」を言おうとして変な空気になる。 
「いや、なんでもない。行こうか」
 この場を取り繕うようにユースケはモナを促した。
 頭からつまづいてしまったが、それほど大きく影響するものではない。こんなことでいちいち狼狽うろたえていては、上手くいくものも上手くいかなくなってしまう。ユースケは心の中でそう言い聞かせた。
 エスカレーターに乗り、モナに気付かれないよう、それとなく深く呼吸をして気持ちを整える。今日という日は、どんな不測の事態が起きようとも乗り越えて見せる。
 ユースケはエスカレーターが進む先にある、光が差し込む出口を見上げた。

〈続〉

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