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マドンナ 第11話《共感》【短編小説】

 テーブルにはサラダが載り、チーズの盛り合わせが載り、ピザが載った。酒もそれに合わせてワインへと移っていった。
 モナの食事の所作には品があった。裕福な家庭環境にあり、テーブルマナーはすっかり身体に沁みついている。他のキャバ嬢とは一線を画する部分である。それだけに、なぜキャバクラをやっているのか、ずっと気にかかっていた。以前に息抜きのようなものだと言っていたが、どうも腑に落ちなかった。
「キャバクラの仕事はどう? 慣れた?」
「少しは。ただ、お酒がちょっと大変ですね」
 モナは酒に弱いわけではないが、接客中の飲酒の量には手を焼いているようだった。客に薦められるがままに飲んでしまい、上手くコントロールができないらしい。
「客もいろいろいるからねぇ。相手のことも考えずにやたらと飲ませようとするヤツとかさ」
「はい。ユースケさんはその辺り気遣っていただけるので助かります」
 ユースケは、理解のある客だと認めてもらえ、嬉しくなった。
 もしかしたら客を繋ぎ留めておくための建前かもしれないが、モナが言うと本心のような気がして、喜びを隠せずだらしなく顔がゆるんでしまう。 
 モナは共に働く諸先輩たちの仕事ぶりに舌を巻き、ついていくのに必死であることも打ち明けた。水商売の世界の厳しさにふと挫けてしまいそうにもなるらしい。
 ずっと続けるのかと訊ねると、しばらくはと答えた。なんとしてでも金を貯めたいのだという。
「でも実家は裕福なんでしょ? 金ならあるんじゃないの?」
 ユースケが何の気なしに訊くと、モナは言い淀み、少し考えてから静かに吐露した。
「実は……わたし、家を出てきちゃったんです」
 モナの表情には決意めいたものが浮かんでいた。
 モナは美大に行きたかったのだが、親に大反対されたのだという。
 高校では美術部に在籍し、主に油絵を描いていた。進路を決めるときに、もっと絵を続けて芸術世界に携わりたかったのだが、親は美大に行くことを許さなかった。
 経済界に身を置く父親は、芸術はあくまで趣味や教養の範囲で、仕事としてやるものではないという考えを持っているのだそうだ。就職口の少なさや、不安定さもそれに加味された。
 母親も、将来の暮らしの安定を強調して父親の考えを後押しした。 
 そうして両親に説得され、仕方なく商学部へと進み、芸術の道は諦めようと思い込むようにした。
 しかし、通うキャンパスは一向に肌に馴染まず、授業に全く身が入らない。そのうち大学へ行くのも億劫おっくうになり、授業にも出なくなった。試験もボロボロで多くの単位を落とし、留年こそなかったものの次年度でもう一度受け直すことになった。
 当然、親はこの結果に激怒した。
 モナは大学が肌に合わないことを打ち明け、美大を受け直したいと懇願した。すると、父親は「受けたいなら受ければいい。だが金は出さない。この家で生活もさせない。どうしても行きたいと言うならこの家から出ていけ」と言い放った。それで大学を中退して家を飛び出したのだという。
 ユースケは「そうなんだ」と同情するように呟いた。
「……一度普通に大学に入って合わなかったんだから、やらせてみたっていいのにね」
 柔らかく親の無理解を咎め、モナを擁護するように言葉を継いだが、モナはそれには答えず複雑な表情を浮かべ、口元に軽く力を込めた。
 必要最低限のものを持って家を飛び出し、住み込みでできるバイトを始めて一人暮らしをするための資金を貯めた。それからできるだけ安いアパートを借り、美大へ進学するための学費を稼ぐために、キャバクラの仕事を始め今に至るという。
「正直途方もないやり方だと思います。美大に入る試験勉強もやらないといけないのに、仕事をしていればなかなか時間も取れない。キャバクラにしたって高給ではありますけど、ただやってれば貰えるなんてものではないですからね。努力しなければいつまで経っても学費は貯まらない。なんか――要領悪いんですよね、わたし」
 モナは悲しく笑った。
 ――要領なのだろうか。
 美大にかかる費用が高額なのは、ちまたで聞く程度には知っている。なんとなく裕福な家柄でないと通うことができないイメージだ。
 だが、モナの家では、行かせる経済力があるのに親の一存で行かせない。行くなら住まいすら与えず、全てひとりでやれと言う。ほぼ強制的に美大への道を閉ざされたようなものだ。要領でもなんでもない。
「それはモナちゃんの親のやり方がひどいよ。モナちゃんがどうこうって問題ではないんじゃない?」
 モナは俯き加減で少し考えた後、再び口を開いた。
「わたし、姉がいるんですけど、姉がなんでもできる人なんです」
 モナの姉は二つ上で日本の三大証券会社と呼ばれる企業に内定が決まっているらしい。
 モナと同じように小さい頃から芸術関連の習い事をさせ、コンクールで受賞するほどの実力があった。
 しかし、その実力を持った姉はその道に進もうとせず、早くに見切りをつけ学業に邁進まいしんし東大へ進学。順調に大学生活を過ごし大手企業への内定を勝ち取って、親の望むレールの上を歩み続けている。
 芸術の才能もあったのに現実的な選択をした姉の存在が、親の反対をより強固にしているようだった。
「わたしにも実績があったら、少しは違っていたかもしれません。でも、諦めろと言われても諦められない。姉のように割り切る方が賢いはずなのに、割り切ることができないんですよ」
 モナは窓の夜景に視線を移すと、その目に涙が浮かんだ。
「絵を描くことが好きで……好きなのに実力が伴ってこないのがすごい悔しくて。姉にはなにもかも敵わないけど、せめて絵だけでも姉を超えたいって、そう思ってしまうんです。ときどき、自分がすごいイヤになりますね。全然うまくできなくて、姉に嫉妬ばかりしている自分が」
 モナは涙をこぼすまいと、一点を見つめて堪えていた。
 一見、清楚で華やかな雰囲気をまとったモナの内に、そんな劣等感があるとは思わなかった。そしてその劣等感は、ユースケにとっても散々味わってきた感情で、どうしようもなく熱い気持ちが込み上げてきた。
 気付けば、モナよりも先に涙を流していた。
「どうしてユースケさんが泣いてるの?」
 モナは驚いたように言った。
「いや……ホントさ、悔しいよね」
 言葉にしようとすればするほど、涙が溢れ、喉がひくついた。
「そんなの、嫉妬するよ。するに決まってんじゃん。オレだって散々したよ」
 モナは己のことで号泣するユースケに戸惑っているようだった。
 ユースケにも二つ下の弟がいた。その弟はユースケとは正反対で、学生の頃からモテた。両親のモテ要素が全部そっちに集まっているのではないかと思うぐらいにモテていた。
 ふたつという年の差は同じ中学に在学する期間が一年だけある。弟が入学してからしばらくして、女子の間で注目を浴びているらしいと耳にするようになった。それは学年を超えて三年女子の元まで届き、ミーハーな女子どもは無遠慮に「写真を撮ってきて」とインスタントカメラを押してよこしてきた。腹が立ったので、女子が揃って毛嫌いしていた鼻毛がもっさり出ている数学教師の写真を撮りまくって返した。後に大顰蹙だいひんしゅくを買ったのは言うまでもない。
 高校になるとさらに過熱した。
 いくつも選択肢がある中で、弟はなぜか後を追うように同じ高校に入学し、中学以上に周囲を賑やかした。誰それと付き合っただの別れただのと噂が飛び交い、その度に必ずユースケの元にその真相を聞きに来る女子がいた。
 一番悔しかったのは、密かに想いを寄せていた同じクラスの佐々木さんから弟あてに手紙を渡してくれと頼まれたことだ。もちろん、弟のことが好きだから付き合って欲しいという内容であり、人知れず涙を流し、その手紙で鼻をかんで捨てた。この時ほど弟を妬んだことはない。
「世の中さ、不公平だって思うよ。同じ親から生まれたのに、なんでこうも違うかなーって。そんなの嫉妬するでしょ。神様じゃねぇんだ」
 弟ばかりでなく、合コンで付き合うことに成功する友人や、結婚していく友人、同じ独身でもコロコロと女を鞍替えする知人。人生でいくら妬んだか知れない。そんな嫉妬まみれの人生を否定などできなかった。
 ワインを胃に流し込み、空いたグラスに注ごうとしたボトルは、底にわずかに残っているだけだった。
「もう一本、なにか飲まない?」
 モナは「飲みましょうか」と言って微笑んだ。ユースケはその表情に、なんとなく分かり合えたような温もりを感じた。
 ワインリストを開き、どれにしようかと言うと、モナは「コレ、飲んでもいいですか?」と指さした。
 女性スタッフを呼んで注文すると、新たなワイングラスに替え、「エロス」とラベリングされたボトルを持ってきた。グラスに注がれたワインは、鮮やかなルビー色に輝きゆらめいている。
「もう一回」
 ユースケがグラスを差し出すように持つと、モナは微笑を浮かべながら頷き、グラスを合わせた。

〈続〉

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