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【引用】フーコー『知の考古学』

今回読んだのは、ミシェル・フーコー(FOUCAULT, Michel)[1926-1984]『知の考古学』(慎改康之訳、河出書房新社、河出文庫、2012年9月、東京)です。

以下、引用した文章になります。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

2024年2月26日 18:43
あらゆる明白な言説は、ひそかに、すでに語られたことに依って立つ、ということである。

フーコー『知の考古学』2012: 50-51

2024年2月26日 18:44
そのすでに語られたこととは、すでに発せられた文やすでに書かれたテクストのことだけではなく、それに加えて、「決して語られなかったこと」、かたちなき言説、吐息のように寡黙な声、自分自身の痕跡の窪みでしかない文字記号のことでもあるとされる。

フーコー『知の考古学』2012: 51

2024年2月26日 18:46
かくして、言説によって言述されうることのすべては、その言説に先立ちその下を執拗に流れ続けながらその言説によって覆い隠され押さえつけられている半沈黙のなかですでに語られているのだ、という想定がなされるのである。

フーコー『知の考古学』2012: 51

2024年3月1日 02:24
言表は、空気のように無限に透明なものではないということ。そうではなくて、言表は、伝達されて保存され、一つの価値を持ち、それを我が物とすることが目指されるような事物であるということ。

フーコー『知の考古学』2012: 227-228

2024年3月1日 02:26
それは、反復され、再現され、変換される事物であり、それに対してあらかじめ設定された回路があてがわれたり、制度のなかでの地位が与えられたりする事物であるということ。

フーコー『知の考古学』2012: 228

2024年3月1日 02:27
それは、コピーや翻訳によってのみならず、釈義や注釈や意味の内的増殖によってもまた二分化されるような事物であるということ。

フーコー『知の考古学』2012: 228

2024年3月1日 02:28
言表は、稀少であるからこそ、それを統一する諸々の全体性のなかに寄せ集められるのであり、言表の一つひとつに宿る意味が増殖させられるのである。

フーコー『知の考古学』2012: 228

2024年3月2日 22:44
実のところ、私は、一人の思想史家にすぎないのかもしれない。ただしその場合、私は、自分がそのような者であることを恥じている思想史家、あるいはこう言った方がよければ、傲慢な思想史家であることになろう。

フーコー『知の考古学』2012: 257


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