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慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど

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慢性骨髄性白血病患者です。分子標的薬を2年弱服用しました。その後服用を中止して3年以上になりますが、最近の1年間はBCR-ABL1遺伝子量検査の結果が連続して「検出せず」になって…
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#線維筋痛症

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #12 退職後の生活

 令和4年3月31日に私は退職した。慢性骨髄性白血病の治療を開始して5年目の春だった。よくドラマなどでは、職場で花束をもらって、家族から「長い間お疲れさま。」と声をかけられて…という描写がある。だが、休職をしていた私に生活の変化はない。ただ一日が過ぎていっただけだった。  早期退職をするのはもったいないとする見方もあっただろう。だが、復帰できる見込みが不明なのにいつまでも休職でいることは心苦しかった。4月1日になると、目に見えないしがらみから解き放たれたような気がしてホッと

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #11 早期退職の決断

 なぜ私の白血病細胞が次第に減少していたのか。それは今の医学では分からない。ただ、治療を始めたときに、がん担当の看護師とこんな会話をしたことがある。体内で起こる異常な現象が原因であることを理解した上で 「なぜ慢性骨髄性白血病になるのでしょう?」 と私が問い掛けた。すると、医学的な証明はないと断った上で 「内々では過労とストレスが原因と言われているんですよ。」 と答えてくれた。  休職中はもちろん過労などない。仕事に追われて焦燥感を高めることもない。ストレスは突き詰めると人間

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #10 新型コロナウイルス感染症の感染拡大

 線維筋痛症外来に通い始めた頃、空咳がずっと続いていた。「冬だからだろうか?軽く風邪をひいた?」と思って放置していた。しかし、線維筋痛症外来の医師は、私の胸に聴診器を当てて「少し音がおかしい。」と述べた。肺のレントゲン画像も見た上で呼吸器内科の受診を促した。  血液内科で受診している病院には呼吸器内科もあったので早速受診した。胸のCTを撮ると軽度の気管支壁肥厚があり、ぜんそくとのことだった。錠剤の咳止めや吸入薬が処方された。痔の治療が終わり消化器外科の受診が無くなったばかり

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #9 治療の中心は線維筋痛症外来へ

 今から2年前の冬に始めて線維筋痛症外来を受診した。その病院は自宅から19kmも離れているが、バスなら乗り換えなしで自宅近くのバス停から病院前のバス停まで行けるし電車でも行きやすかった。また、その地域の大病院で診療科の数や検査態勢も充実していて安心だった。  初診は1時間くらいかけて丁寧に問診や触診をされた。当時は手の強ばりが特に強く手足や背中に痺れや強い痛みがあったが、体を触ってもどこが痛いかわからなかった。線維筋痛症の診断では体の数カ所を押して痛みが出るかという点を重要

慢性骨髄性白血病は完全寛解したけれど  #8 病休から休職へ

 私のスプリセル服用末期から服用中止、そして入院してタシグナを試す…といった期間は、水泳の池江璃花子さんが白血病を発症して治療に専念していた時期と重なる。正に世の中の報道が白血病一色といった感じで私も相当心を動かされた。  池江さんのタイプは急性リンパ性白血病であり、私の慢性骨髄性白血病とは治療方法が異なる。別の病気と思ってもよいくらいだ。しかし、テレビで「白血病」が連呼され、いかに悲惨な病気かを繰り返し伝えられると心がダメージを受けてしまう。これも無気力感につながった遠因