型はめ

他人を枠に入れて考えすぎと言われたことがある。確かにパターン化して考えている気がする。それは創作の弊害なのかもしれないし、元々の考え方なのかもしれない。
そもそも、他人の気持ちがよく分からない。著しく共感性が低いのかもしれない。サイコパスだと言われたこともあるし、自分でそうかもしれないと思ったこともあった。
ただ、大事な人が悲しんでいるならきっと悲しいし、困っている人が目の前にいるなら助けたいとも思う。
共感できないからパターン化するしか無かったのかもしれない。そもそも、人は経験して覚えていく生き物であり、特に日本人を重きを置く「空気を読む」という行為は、失敗して学ぶこともあると思う。
ああ今は、大声を出してはいけないのか。自分の考えを言うよりも上司に賛同しておく場面なんだな。とりあえず共感して慰めておいたら丸く収まる。
そうやって人は覚えていくのではないのか?他人のことは知らないが、自分はそうだった。
当て嵌めないように、相手自身をよく見つめようとしたところで出来ない。
だから唐突に思った。もっとパターンを学ばなくてはいけない。
最近認知行動療法について学び、実践しているが、このままもっと心理学を学べばいいのではないだろうか。引き出しを増やせばパターン化してしまったとしても、相手に不快な思いをさせることは減るかもしれない。
心という目に見えないものについて解き明かしたいような気もする。
これも思いつきなので、明日には変わっているかもしれないが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?