歪み

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前の記事で、【大切な人が悲しんでいたら悲しい】と書いたが、本当にそうなのか疑問がある。
そもそも好きな子はいじめたくなる、の典型的男子小学生のような心理をしていて、大切な相手が自分の行動によって泣いていたら嬉しくなってしまうタイプである。
貶し愛、という単語を誰かが使っていたが、好きなものを悪く言ってしまうこともある。素直でない…とも少し違う気がする。
本音を言うなら好きで大切であるほど傷付けなくなるのが本性のような気がする。たくさん傷付いてどこにもいけなくなって、そして閉じ込めたくなってしまうような。そんな歪みをある時から抱えている。

流石にそれを現実の人間関係でやることは良くない、と頭では理解しているために、創作の世界や妄想の世界で繰り返し欲を発散しているのかもしれない。

そんな風に抑圧していたが、心身ドMの人間相手ならば、もしかしたら…という希望を捨てられずに関わりを持ち、失敗した。
というのも、傷付けたいという本音とは別に、「いい人でいたい」という建前がいつもあるからだ。
恐らくは本心からでなく、善人でいたい。普通でありたい、型からはみ出ないようにしたい、一般の枠におさまるから、否定しないで欲しい。
よく分からないが、否定されることを恐れているらしく、へらへらと笑ってしまう。
中途半端な優しさでいい人ぶろうとする。同時に、めちゃくちゃに傷付けてしまいたい、ぼろぼろにしてやりたい。
そうやって相反する感情に苛まれて、自分は矛盾した生き物だなという場所にいきつく。

某ちいかわのおかげで、「泣き顔かわいい」「可哀想かわいい」と声に出してもあまり変人扱いはされなくなったが、たぶん自分はおかしいのだろうということはだいぶ前から自覚がある。

別におかしくてもいいじゃないか、という自分に対してまた、普通ぶりたい否定されたくない自分が顔を出すせいで大変生きづらい。

話が飛び飛びにはなったが、恐らく大切な物の大切にしかたを知らない。
だから依存させて繋ぎ止めたくなる。自分がいなければ生きられなくなればいいのに、というのが根底にあるような気がする。
だからこそ、有り余る程の大金をもし得ることができるのならば、人間を飼ってみたいといった欲が生まれるのだろう。
実際に飼い始めることがあれば、数ヶ月もたたずに飽きてしまいそうだが…。

とにかく。こうしたおかしい人間が、普通の人間関係を構築するにはどうしたらいいのか。
大切なはずが伝わらない。いなくなる。とても難しい問題だ。
人間関係だけでなく、生きていくことがとても難しい。
健康的な人間はどのような思考でどのように生活しているだろうか。
少なくとも、大切な人を泣かせたいなどとは思わないのではないだろうか。
考えても解決などしないが、気が向いたので吐き出し。

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