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定点観測 【君は月夜に光り輝く】

 今日も今日とて、日が出ていたのはほんの数十分。ここ最近は地殻変動も落ち着いており、今日は局長が休暇に出ていることもあって観測の必要は無かった。 
 窓から外を見る。真っ暗で星一つない、どこまでも続いていそうな闇夜が広がっている。
 黒いベールのように私を包み、不安に誘おうとしているのだろうか。でも残念。私はこの部屋にいる限り、不安におびえることは無い。本も動画も見れるし、何より温かかった。

 シュンシュンと音を立てるストーブ。本当は床暖も使おうと思えば使えるけど、私はこの古臭いストーブの方が好きだった。手間がかかるのはちょっと面倒だけど、床暖とは違った温かさがある。それにここでは、電力よりも薪や燃料の方が供給が楽なのだ。

 窓から離れ、ストーブの近くの一人掛けソファに腰を下ろす。さて、動画を見ようか。それとも本を読もうか。 
 そういえば、この前にツカヤからおすすめされた本があった。ツカヤが休暇から帰ってくる前にそれを読んでおこう。サイドテーブルに置かれたiPadを取った。


 この世に生を受けてからはや二十数年が経とうとしているが、ありがたいことに大病というものは患ったことが無い。ましてや、身体がほのかに「発光する」ような未知の病などとは無縁である。これは数少ない私の自慢と言っていいだろう。
 この物語の登場人物、「渡良瀬まみず」は身体がほのかに光り、病状が進むにつれて発光も強くなるという奇病、「発行病」を患っていた。そして病気のせいで幼いころから行動に制約を受けていた彼女は、「体験」に飢えていた。それはもう、光の届かない水中で呼吸を求めるように。

 そんなある日、あるきっかけからまみずと出会った主人公「卓也」は、彼女の代わりに様々なことを体験して、そのことをまみずと共有する生活を送り始める。
 最初はしぶしぶ言われるがままにし、不可解を心に抱いていた卓也も、彼とその彼を取り巻く周囲の環境が、彼の行動によって変化し始めるうちに、そんな日常が当たり前のものになりつつあった。
 しかし、他にも変化し続ける物が存在する。

 互いを思う、二人の心情。
 そしてまみずの病状も日に日に変化していった。

 主人公とまみずは、そんな流れるような日常を送りながら、最後にはどのような結末を辿るのか。

 恋愛小説が苦手だからといってこの小説を避けるのはもったいないと思う。少なくとも私はそう感じた。


 そもそも、何の話からこの本を聞くことになったんだっけか。
 …………そうだ、あれはツカヤとの会話中、勿論電話口でのことだった。

「ここはいつも通り、真っ暗だね」
「そうですね、最近は地殻変動も無いから夜光虫も飛びませんし」
「夜光虫、か」
「ツカヤは夜光虫、苦手ですか?」
「…………ちょっとね。虫は昔から苦手なんだ。でもここでは夜光虫が星代わりだから。……きれいだとは思うよ」
「でも、夜光虫って虫じゃないですよね。地殻変動の後に起こる雪埃みたいなものって…………」」
「まあね。でもほら、名前から認識が刷り込まれるっていうのは、よくある話でしょう?」
「あー…………確かに。『お手洗い』みたいなものですよね、言葉通りなら手を洗う場所ってだけなのに、トイレの意味を持つとなんか汚く感じるっていう…………」
「んー、なんかちょっと違う」
「あれ?」

 ツカヤが虫が苦手だということは前から知っていた。でもまさか夜光虫まで苦手とは思わなかった。
 そもそも、夜光虫は虫ではない。地殻変動で巻き上げられた雪が日中の光を残存させて発光しているだけなのだ。
 だったらもっといい名前を付ければよかったのに。先人のナンセンスさにちょっとがっかりした。

「じゃあ、ツカヤなら夜光虫の代わりにどんな名前を付けたいですか?」
「ふーん……名前かぁ。そうだな、じゃあ『夜光星』でどうだろう?」
「星、ですか…………」
「よくない?」
「だって、星なのに手が届いちゃうじゃないですか」

 私がそう言うと、珍しくツカヤが噴き出すようにして笑った。いつもは含み笑いのツカヤだったから、少し私もおかしくて笑ってしまった。

 でも、もし本当に星に手が届くんだったら、私はこの部屋から手を伸ばすだろうか。いや、私なら間違いなくしないな。

 私にはこの暗闇が深海のようにも思える。
 あのほのかな光は、触れたら自分から空気を奪ってしまう。
 水圧に潰されてしまう。

 なぜか私には、そう思えて仕方がないのだ。

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