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ローズマリ・サトクリフ 『ともしびをかかげて』(上下)

僕にとっての作品:運命は過酷。アクイラはローマの教養を身につけたブリテン島の若きケルト系軍団長。4世紀、衰退を迎えたローマ。サクソン人の侵入に対し、アクイラは任務であるローマの防衛よりも、本能で「故郷」を選ぶ。運命は過酷。教養と文化を離れ、本能と本能がぶつかりあう歴史の中へ。生き抜く。故郷と家族は、同義。

素晴らしい歴史小説でした。サトクリフ氏は児童文学作家として知られ、この本も中学生向けだそうです。しかし、そういったことはどうでもよいほど感動的。大人もこどもも読んで得られるものがあると思います。

歴史を非常に感じます。ページをめくるたびに昔の人は過酷な世界を生き抜いたんだ、という感覚が押し寄せてきます。
歴史は甘いものではなく、運命のように重々しいものだという感覚も。

現代人に簡単に感情移入はできません。人を殺しながら、奴隷を使いながら、荒波を泳ぎ切るようにひたすらすすむ。主人公アクイラの生は、淡白に描写されます。タッチはわりと硬質。

僕は、この話を読んで井上靖氏の数々の歴史小説を思い出しました。それから『もののけ姫』もなぜか脳裏をよぎる。「いきろ、そなたは美しい」と、登場人物のすべてに言いたくなる気がしてくる。

情景の描写はすごいです。歴史的な知識が豊かな作家だということがわかります。心理描写は淡々と、情景はときに詳細に。

読んだあと、「生きる意味」について考えさせるような、そんな読後感ですね。


本と文字についての一場面はすごいです。文字を操る仕事、すなわち作家としてのサトクリフの誇りを感じます。

「なんじゃ、これは。わしにはこれが何なのか、かいもくわからんわい。魔性のものかもしれん。どうも感心せんな」
「そんなら燃やしてしまったほうが安全だな。」ソーモッドがすすめた。老人はふかくうなずきながら、樺の木が音をたてて燃えている火の中に手にしたものを投げ込もうとした。
 その瞬間、アクイラにはそれが何であるかがわかった。白く塩をふいた漂木を投げ捨てると、アクイラはまえにすすみ出た。
「いけない! やめろ! それは魔性のものなんかじゃないーあぶないものじゃないんだ」
 ブラニはしわだらけのまぶたの下からアクイラをみた。
「それじゃあおまえは、まえにこれをみたことがある、というのか?」
「ああ、おんなじようなものをたくさん、みたことがある」アクイラはいった。
「本というものだ。人のことばがこの長い巻物のなかにとどめられ、おさめられているのだ、この小さな黒い印のなかに。それで、ほかの人々が、ほかの場所で、ほかの時にそれを知ることができるーその話し手が死んでしまったずっとあとになってもなーそしてこの印を見れば、ふたたびそのひとの言葉を語ることができるのだ」

4「ウラスフィヨルド」 より

歴史を感じさせます。歴史と運命はその過酷さで、よく似ています。運命は突然不幸をつれてくるといいますが、その運命は歴史という小道を歩いてくるのだろうと思います。以下、襲撃を受けるアクイラ一家。フラビアンはアクイラの父、デミトリウスは一家の元家内奴隷です。

いま、みなが死に直面していることは疑いない、とアクイラは考えた。そしてみなのまんなかに立っている父の姿からは、たのもしい一種の力が流れ出ているように思われた。デミトリウスは注意深く巻物をふたのあいている巻物入れにもどすと、ふたをしめ、立ち上がって、壁にかけられた美しい武器のなかから、細身の短剣を手に取った。嵐にあおられてまたたくあかりのなかのデミトリウスの顔は、あいかわらず白く、やさしげだった。
「自由の身にしていただきましたときに、そのお礼を申し上げたと思いますので、」デミトリウスは短剣の刃を試しながら、フラビアンにむかっていった。「そのことはくりかえしますまい。しかし自由の身になってこのかた今日までの年月の間にこうむりましたご恩の数々に対してお礼を申しあげますー考えてみますとーわたくしは非常にしあわせでございました。」

3「海のオオカミ」より

父と子。作家を怯ませるような重要なテーマだと思います。それでも作家は勝利する、描ききる。メダカは、アクイラの息子の愛称です。

はじめは、九年前には、アクイラはじぶんとメダカが友だちになれるかもしれないと願っていた。じぶんと父がそうだったような間柄の友だちに。しかしどうしたことか、それはうまくいかなかったのだ。アクイラはどこが悪かったのかわからなかった。それに父と子の間柄がうまくいっていないということに気づきもしなかったのだ。しかし、きょうのようにそれに気づいた時、アクイラはひどく傷つけられた。もしかすると、その原因は、アクイラの失った何か、にあるのかもしれない……

17 「イルカの子、メダカ」より

男と女。ネスはアクイラの妻です。

「あなたって人はふしぎな人だわ。」ネスがいった。「三年前、あなたはまるでいりもしない台所道具かなんかみたいに、わたしを父の炉ばたからひきはなした。それなのに、いまはわたしをいかせようというー子どもまでーあなたは、わたしたちがここにとどまるほうがうれしいとおもっているのでしょうに。」

16「白いイバラと黄のアヤメ」より


医師ユージーニアスの言葉。歴史とは、朝と夜が、光と闇が繰り返していくこと。

「朝はいつでも闇からあらわれる。太陽の沈むのをみた人びとにとっては、そうは思われんかもしれんがね。」

22「花さく木」より

この小説と、作家サトクリフについては、僕はまったくの無知でした。同僚に教養豊かな方がいて、教えてもらったのでした。

ローズマリ・サトクリフはイギリスの児童文学作家で、歴史小説家。本作でカーネギー賞を受賞(年に一度児童文学作家に贈られる鉄鋼王にちなんだ権威ある賞)。1920年生まれ、1992年になくなりました。

本作は1959年に発表。1950年に作家としてデビューしたサトクリフのローマン・ブリテン3部作の最終作でした(のちに4部作になる)。

サトクリフは幼い頃の病により、主に車椅子で生活していた。ローマ時代やイギリス中世の歴史をモチーフにした小説で高い評価を受け続けた。Wikipediaによれば、ラドヤード・キプリングの影響でローマ時代のブリテンに関心を強めたとのこと。

サトクリフが生まれたのは1920年。世界大戦直後のイギリスということですね。1935年、サトクリフは15歳のころ、美術学校に入学。世界大戦後の、高まる国際協調や社会主義、大英帝国の植民地の独立運動、ハイパーインフレにあえぐドイツ、こういった歴史のうねりをサトクリフは学生時代に見たのでしょうね。20代のはじめ、すなわち第二次大戦中には、兵士たちの絵を描いて(細密画)、プロとして活動していたようです。

彼女がこどもとして多感だった時代というのは、戦間期にあたりますね。世界の中心からヨーロッパが転落し、『ヨーロッパの没落』がベストセラーになり、アメリカが国際社会の新しいボスになる。大英帝国は「維持費」がかさみ、支配のたがを緩めていく。

たとえばそれは音楽ならば、価値を信じられてきたクラシカルなものが動揺しジャズが席巻していく時代。教養が、野蛮の挑戦を受けた時代。ヨーロッパが、アメリカに道を譲る時代。

めまぐるしく価値観が変遷した時代に、彼女は少女として自分の基礎を築いたということは言えるのだろうとおもいます。

小説を読んだ後に少しだけ彼女のwikipediaを参考にしてみました。後付けですけれども、『ともしびをかかげて』には、価値観の変遷の中を生き抜いたアクイラの姿があります。このアクイラを変幻自在のスーパースターとして描くのではなく、サトクリフは時代の制約の中に彼を閉じ込めました。

高すぎる望みを持って、叶わぬ望みを持って生きるのではなく、あたえられた制約の中で、変化の波を泳ぎ切る。そういう主人公は、同じような生き方をしている人にしか描けないような気がしています。が、これは単なる僕の想像です。

価値観の変遷は、ぼくの大好きなカズオ・イシグロが好んで描くテーマの一つだと思います。というより、彼の作品はほとんどがそれをメインテーマとしている。そういう意味では、もののけ姫や井上靖と同じように、『浮世の画家』や『日の名残り』を大いに連想させる作品でした。

美智子上皇后の有名なスピーチに、サトクリフも名前が挙がります。これも先述した同僚の方に教わりました。

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