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映画を見て泣くくせに、人が死ぬ話で泣くくせに、半径1mの他人のことでは泣けないですか?:世界平和哲学②
自分が理解出来ないあの子も、
もし自分があの子の親の子に生まれていたら、
あの子として生まれていたら、
あの子みたいにならなかったのか?
それに胸を張って「ハイ」と言えるのか?
言えるのであれば、その傲慢さは貴方の人生のどこから引っ張ってきたのか。
自分の弱さに他人を巻き込む。
自分の情けなさを他人で慰めようとする。
目の前のモヤモヤしたこと、イライラすること、どうしたら良いか分からないことを、
その気持ちであると自覚する前に他人のせいにするのは、
あまりにも短絡的な甘えで、
自分という人間との闘いを避けている。
人間に生まれたのだから、自身と闘い続けなければいけない。
何度負けようとも。
自分の気持ちの機嫌をきちんと把握しないうちに理解することを諦めてしまうと、他人を批判するしかなくなってしまう。
なぜなら、自分の中の原因に目を向けられず、不安で目の前が真っ暗だからである。
そうすると、他人を陥れるしか、手段は消え失せる。
人間だから仕方がない。
しかしそれはそれ。
陥れられた、批判された人間の傷は癒えず、その人間がまた傷と向き合うことが出来ないのであれば、
同じように他人を批判するニンゲンの完成である。
消して許される事ではないのだ。
私は必ず、いろいろな人を傷つけて生きてきた。
自覚のある件から、自覚のない事件まである。
しかし、そのほとんど、いや、全てと言っても差し支えないーが、自分の弱さに起因する代物である。
その罪を償うためには、本気で、心の底から、もう自分の弱さには負けないと、想うこと、もう負けたくないと想うことしかないのである。
何度でも言うが、人の罪よりも、自分の罪を棚に上げて人の罪をご指摘なさっている素晴らしい御仁の方が、
見ていられないのである。
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