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【映画#31】「グロリアの憂鬱」 『パレード』より

こんにちは、三太です。
連休が続き、ありがたいのですが、また台風も続いてやってきそうです。
健康に、安全に過ごしていきたいと思っている今日この頃です。

では、今日は『パレード』に出てきた映画、「グロリアの憂鬱」を見ていきます。
『パレード』内に出てくる映画26作中の26作目、ついにラストとなりました!

基本情報

監督:ペドロ・アルモドバル
出演者:グロリア(カルメン・マウラ)
    アビエラ=おばあちゃん(チュス・ランプレアベ)
    クリスタル(ヴェロニカ・フォルケ)
上映時間:1時間37分
公開:1984年

ペドロ・アルモドバル監督は、以前紹介した吉野朔実『シネコン111』でも、けっこう重点的に取り上げられていた監督です。

あらすじ

スペインの、ある団地に住む家族、その中の女性グロリアが主人公。
この家族はグロリアを含め、その夫、息子たち、姑がそれぞれに問題を抱えています。
その問題の根本には貧困という問題が横たわっています。
貧困を軸にして、浮気、嫁姑問題、低学力(によって、息子たちの宿題を手伝えない)、薬物、売春、育児ストレスなど多様な問題が描かれます。
全体を通して言えるのは、ストーリーがある話というよりも、大きな展開に向けて、一つひとつの細々としたことが積み重なっていくという展開をするということです。
救われる話かと言われると、少し首肯しがたい部分もありますが、見終わったあとに嫌な感じが残ることはありません。

設定

家族もの
貧困

感想

一見なさそうですが、実はどんな家族にも潜んでいそうな問題を扱った作品だと感じました。
細々とした話が全体のストーリーにつながっていく(グロリアが剣道場で掃除婦をしていたことやアントニオが代筆をしていたことなど)手法が、見事だと思います。
その過程を通して、グロリアが平凡な主婦からそんなところまで行ってしまうのかという結末にリアリティが生まれています。
また、内容のほとんどがリアルを描いているのですが、バネッサという少女が超能力を使えるという設定となっており、なぜそのようにしたのか疑問に思いました。
聖と俗のどちらも入れた方がよいという判断でしょうか。

青蜥蜴巨大団地の隅々へ

その他

・副題→セックスとドラッグと殺人
・入口が扉となっているエレベーターが新鮮

『パレード』内の「グロリアの憂鬱」登場シーン

ドアに耳をつけ、二人の会話を聞いていた美咲が、「なんだか、逆メロドラマって感じね」と笑い、「スペイン辺りの昼メロになら、この手の展開もありそうだけど」と言った。俺はスペインの昼メロを知らなかったが、代わりにアルモドバル監督の「グロリアの憂鬱」という映画が浮かび、あるインタビュー雑誌で監督が、『悦びに満ちた顔は、苦痛に歪む顔とそっくりだ。・・・私はフランコ政権などまるで存在しないかのように映画を撮ってきた』と言っていたのを思い出した。

『パレード』(pp.267-268)

伊原直輝と美咲が食事の後、マンションに戻ってきたときのワンシーンです。
そこには琴美と琴美の彼氏である丸山君がいました。
実は琴美は彼の子どもを身ごもっていました。けれども、その子を産むか堕胎するかで悩んでいたのです。
それについての話し合いをしている最中の、この引用です。
「グロリアの憂鬱」が浮かぶということは、なかなかに深刻な状況だったことを表していると思いました。

吉田修一作品とのつながり

扱っているテーマが『悪人』に通じるような気がします。
確かに殺人は悪いけれど、そこに至った理由をグロリア一人に押し付けることはできるのかという問いを突きつけるところ。そして、かと言ってグロリアにも一定の非はあるというところからそう感じました。

以上で、「グロリアの憂鬱」については終わります。
ついに『パレード』内に出てくる全作品(いくつか見られていないものもありますが…)を一通り見ることができました。
次は映画「パレード」を見たいと思います。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

画像の出典:Amazon「グロリアの憂鬱」

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