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【閑話休題#26】トルーマン・カポーティ『冷血』

こんにちは、三太です。

最近、本格的に本集めを再開しました。
絲山秋子さん、辻原登さん、西村賢太さんの本を集めています。
この中で言うと、地方を描くという意味で吉田修一さんとつながりのある絲山秋子さんの作品をまずは書かれた順に読んでいこうかと計画しています。
絲山秋子さんのマガジンも作っていけたらいいなと思っている今日この頃です。

では、今回は吉田修一『キャンセルされた街の案内』の短編に出てきた本を取り上げます。

『キャンセルされた街の案内』には次のような記述がありました。

呆れたように連れがそう呟いて掲示板の前を離れる。そうなのか。二十年で変わったのは画質だけで、同じ映像がよく見えるようになっただけなのか。
「そう言えば、先週、『カポーティ』って映画観たよ」
歩き出した連れの背中に声をかけた。
「カポーティ?」
「まだ読んでないよな?とにかく映画はわりと面白かった。『冷血』って小説を書いたときのことが題材になってるんだけど、カポーティは犯人が死刑になることを最後に望むんだ。自分に似ているからこそ深入りしていったくせに、その犯人の死を望む。理由は死刑にならないと小説の結末が書けないから。で、犯人は死んで、カポーティは小説を完成させる。ただ、この作品のあと、何も書けなくなったらしいよ。で、死後、未完成のまま残った小説のタイトルが『叶えられた祈り』」

『キャンセルされた街の案内』(p.171)

これは「灯台」という短編の一節です。
語り手である俺とその連れの会話の中で取り上げられます。
「カポーティ」という映画は見てみたのですが、その映画の題材となった『冷血』自体は読んだことがありませんでした。
先に映画を見て、少し舞台裏がわかってしまったので、今から読んで楽しめるかなとも思ったのですが、名作として名高いということもあり、読んでみることにしました。
結論から言うと楽しめました。

要約

本書は1959年にカンザス州の小さな村ホルカムで起こった一家4人惨殺事件を題材にしたノンフィクション・ノヴェルです。
その事件を中心にして、その事件以前から以後にかけてを含め、加害者側、被害者側の視点を交互に行き来しながら描かれます。
ちなみに殺された家族はクラッタ―一家(父ハーブ、母ボニー、娘ナンシー、息子ケニヨン)、加害者である2人はペリーとディックです。
事件が中心なので、もちろんその罪について焦点が当てられるのですが、それと同時に殺された一家や加害者の周りの人間など、家族にも焦点が当てられます。
本書は以下の4つの章に分けられます。
Ⅰ 生きた彼らを最後に見たもの
Ⅱ 身元不詳の加害者
Ⅲ 解答
Ⅳ “コーナー”

文庫の裏表紙にある解説を引用します。

カンザス州の片田舎ホルカム村で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。

感想

まず、内容というよりも、カポーティの取材力・構成力・想像力に脱帽しました。
ノンフィクション・ノヴェルなので実際に起こった事件をもとにしているわけですが、それをただ時系列に並べるだけではこの小説は生まれないなと思いました。
訳者あとがきによると、「カポーティは『冷血』の執筆に先立ち、三年を費やしてノート六千ページに及ぶ資料を収集し、さらに三年近くをかけてそれを整理している。」(p.620)ようです。
想像力という点でも、人物の心情や思考の流れが詳細に描かれ、実際にその場にいて体験してきたかのようです。
題材も大事なのですが、やはりそれを小説に仕立て上げる著者の力量がもっと大事だと分かりましたし、シンプルに「カポーティ、すげえ・・・」となりました。

また、本書では犯罪に至る過程も詳細に描かれるので、運命の分かれ道について改めて考えさせられました。
もしペリーの両親が病気にならずロデオのプロを続けていたら、ペリーにはまた別の人生があったかもしれないなと思ったり、もし囚人のフロイド・ウェルズがディックにクラッタ―家のことを話していなかったら、2人はこの家に入っていなかったのではないかと思ったり・・・。
これらからも結末が大事というよりもそこに至る過程が大事な作品だとも感じました。
結果的に犯人2人は絞首刑に処せられるのですが、この本の終わりはその場面ではありません。
終わりの場面は少し爽やかな風が吹いていそうな場面で、本書の重苦しいテーマを少し和らげているようにも感じます。

薫風に脇役集い墓参り

その他

今回『冷血』を取り上げようと思ったきっかけとして『キャンセルされた街の案内』に出てきたということと、次のnoteで取り上げられていたということもあります。

この記事で言及されているのは『冷血』と吉田修一『悪人』との共通点です。
例えば次のようなことです。
・犯人の乗る車の具体名が出てくること(『冷血』は黒いシヴォレー、『悪人』は白いスカイライン)
・章立て(『冷血』は「生きた彼らを最後に見たもの」、『悪人』は「彼女は誰に会いたかったか?」「彼は誰に会いたかったか?」)
・犯人の逃避行がどちらもロードノベル風

これに付け加えて、私はこんなこともあるかなと思いました。
・後日からの供述が挿入されること
・罪を犯すときの衝動性
・結末よりも過程に注目しているということ(特に家族との関係)

書かれた順番でいくと、『冷血』が『悪人』に影響したということなのでしょうか。
ただ、少なくとも『冷血』は後続のノンフィクション・ノヴェルには大きく参考にされたみたいではあります。 

また、『冷血』では、日本との関わりがいくつか出てきて興味深かったです。
例えば、ホルカム村に移住していたヒデオ・アシダ一家の話やペリーが朝鮮戦争で横浜に来ていた話などがあります。
アメリカ、カンザスと日本のつながりが感じられました。

今回は『キャンセルされた街の案内』の「灯台」という短編に出てきた、トルーマン・カポーティ『冷血』の紹介でした。
 
ノンフィクション・ノヴェルの凄さを体感できました。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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