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【閑話休題#14】今村昌平 佐藤忠男編著『教育者・今村昌平』

こんにちは、三太です。
先日、勤務校で文化祭が行われました。
久しぶりにコロナ禍前の形で行うことができ、生徒たちがイキイキと活動していました。
また、文化祭があることによって、普段見られない姿を見せる生徒もおり、こちらにとっても改めて発見があって良かったです。

さて、これまでに今村昌平の映画が2作続いたということで、今回は今村昌平について勉強するしかないなと思い、次の本を読みました。

要約

カンヌ国際映画祭のパルム・ドール(最高賞)を二度受賞した、日本を代表する映画監督、今村昌平を教育者という目線で描いたのが本書です。
本書は三部に分かれています。
「第一部 学校をつくる」では、映画界における人材育成の方法や、今村昌平が立ち上げた横浜放送映画専門学校での実践が描かれます。
「第二部 今村昌平かく語りき」では、今村昌平の講義録やインタビュー、そして横浜放送映画専門学校(あるいはそれが発展した日本映画学校)において生徒に語った言葉がまとめられています。
ちなみに現在、日本映画学校は四年生の日本映画大学となっています。
「第三部 学生作品の成果」では日本映画学校の特に優秀な卒業作品が紹介されています。

引用と考察

ここでは、教育に関する今村昌平の考えを三つ引用します。

現場の第一線の人たちが教師であることが重要である一つの理由は、学生たちの目の前にその業界が見えるということである。教師たちはしばしば、実際の現場がどんなに厳しいかを語る。しかし、では学生たちがそんな現場にひるむかといえばそんなことはない。なぜなら、現場は厳しい厳しいと言いながら、現にその教師自身がその仕事に自信と誇りと喜びを抱いていることが明らかだからである。そうでなければとっくにこの業界を去っているであろう。現場での評価の高い人をこそ教師に迎えるということが今村昌平のきめた大原則であった

(pp.42-43)

だから、そういう、好きだからやりたい、ということ。ついつい覚えてしまうということ。そんなことに執着して、日々暮らしているわけです。また、そういうことがないと、粘り抜けないんだな。

(p.124)

ものを創ることの楽しさとか苦しさとかを、せいぜい二年ですが、子どもたちにあたえたい。要は創造性というものですね。創造性をなくしては、生きる価値はないわけですよ。
生きるうえでいちばん基本的なものとして創造性がある。そのことだけは伝えていきたいと思うわけですね。みんな同じように育っては、しかたがないでしょう。「たとえバーテンになってもいい、オリジナルなバーテンになれ」といいます。
子どもを教育する仕事と映画を創る仕事とは、ぼくにとってはまったく変わらないんです。

(p.176)

一つ目は「現場の第一線の人を教師とすること」、二つ目は「好きなことをやるということ」、三つ目は「教育の中で創造の大事さを伝えていきたいということ」を表しています。
いずれも自分の教育実践で大事にしていることにも通じるなと思いました。

一つ目に関しては、今村昌平の学校には映画に興味のある子がたくさん来ているはずなので、公立の学校なんかに比べて、より効果的だなと思います。
二つ目に関しては、シンプルだけれど、真理を突いていると思います。自分も吉田修一作品が好きだからこそ、ずっとnoteを続けられているんだと感じました。
三つ目に関しては、教育と映画も一緒だという部分も面白かったです。創造していくことの重要性、そして楽しさ。数年前に読んだラグビー元日本代表監督のエディー・ジョーンズの言葉も思い出しました。「コーチングはアートだ」と。
アートだからこそ(一人一人が違い、違いがあるからこちら側の教え方、コーチングの仕方も変える)、大変だとも言えるし、面白いとも言えるんだと思います。

感想 

この本を読もうと思ったきっかけはもちろん今村昌平の映画「うなぎ」と「カンゾー先生」を見たからです。どんな人なのかなという興味が湧きました。
実はもう一つ理由があって、それは今村昌平が作った横浜放送映画専門学校の卒業生に出川哲朗さんがいたということです。
つい先日、NHKの番組「プロフェッショナル~仕事の流儀」で出川さんが取り上げられていました。
この回を見て、感動しました。
出川さんが苦しかったときに、母親にかけられた言葉。そして、最後のジェットコースターの件。
本当に泣けました。
最後は泣くだけでなく、笑えました。
そんな出川さんが卒業した学校を作ったのが、今村昌平。
これは本を読むしかない!という感じです。

さて、いくつか本書を読んでの感想を記そうと思います。
一つは横浜放送映画専門学校ができた当初から行われていた農村実習のことです。
実は農村実習はもともと計画されていたカリキュラムではなかったようです。
学校に入る生徒の面接をしていて、「若者たちの目的意識の希薄さ」を感じた今村昌平が急遽やり出そうとしたものでした。
そのため実際にそれを運営していく沼田幸二さんなどはとても大変だったようです。
けれども、「目の前の生徒を大事にする」という考えは大事です。
現実問題なかなか難しいところもありますが、理想としてはこれぐらい融通が利く教育が良いのかもしれません。
 
もう一つの感想は今村昌平と吉田修一の考えに相通じる部分があるのではないかと思ったということです。
今村昌平が日本映画学校の生徒のインタビューに対して次のように答えている部分があります。

生徒―なんで、欲の出た人や殺人鬼などを描こうとするのですか?
今村―よくも悪くも人間の仕業でね、よいけど悪いとか、悪いけどよいとかいうのが、人間、多いでしょ。だから、特に悪の部分を描く時に人間の本質みたいなものを見つめないわけにはいかないわけです。そういう意味で、欲の深い人とかアクの強い人を描くことになっていくわけでしょうね。

(p.204)

吉田修一作品にも悪人がたくさん出てきます。
『パレード』にも悪人は出てきますし、まさに『悪人』という小説もありますし、『犯罪小説集』というのもあります。
今村昌平の答えに近いことを吉田修一も思っているのではないかと思います。
ただ、これまで紹介してきた映画とかも含めて考えると、悪人を描く(=罪を描く)ということは文芸(あるいはアート)に普遍的なこととも言えるのかもしれません。

その他

・今村昌平の父親は医者であり、晩年の作品「カンゾー先生」は、父親をモデルにしているわけではないが、亡き父に捧げる作品でした。(pp.24-25)
・日本映画学校の卒業生に映画『悪人』の監督李相日がいます。

日本を代表する映画監督について、多くを知ることができ大変良い機会となりました。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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