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【閑話休題#46】山田詠美『つみびと』

こんにちは、三太です。

今回はこちらの作品を読みます。

これまでこのnoteで吉田修一作品を読んできて、『ウォーターゲーム』までまとめることができました。
『ウォーターゲーム』は産業スパイ、AN通信エージェント・鷹野一彦シリーズの三部作目にして完結編で、一作目は『太陽は動かない』、二作目は『森は知っている』です。
そして、このシリーズに出てくる鷹野一彦という登場人物は、大阪二児置き去り死事件から着想を得て創作された人物です。

山田詠美さんの『つみびと』も同じく大阪二児置き去り死事件から着想を得られて創作された小説ということで、そこに共通する点を感じて今回読むことにしました。

2019年の5月に刊行された本です。


あらすじ

亡くなった子らの祖母(琴音)、亡くなった子(桃太と萌音)、そしてその母(蓮音)の三者の視点を行き来しながら物語は展開します。
置き去り死事件に至るまでの三世代に及ぶ、負の歴史のようなものが描かれます。
人との出会いによって運命が翻弄される、あるいはかろうじて人生を持ち直す。
そんなどっちに転ぶも紙一重のような人の一生というものが見えてくる小説です。

文庫の裏表紙にある紹介文も掲載します。

灼熱の夏、彼女はなぜ幼な子二人をマンションに置き去りにしたのか。追い詰められた母親、死に行く子供たち。無力な受難者の心の内は、フィクションでしか描けない。圧巻の筆致で、虐げられる者の心理に分け入り、痛ましいネグレクト事件の深層を探る。本当に罪深いのは、誰―。迫真の長編小説。

感想

読みながら、胸がキュッと締め付けられるような作品でした。
特に〈小さき者たち〉として亡くなった子の視点から語られた文章は、本当に読むのがつらかったです。
けれども、しっかりと向き合う必要があるとも思いました。
巻末にある春日武彦さんと山田詠美さんとの対談で、山田詠美さんは本書を著した理由を次のように述べられます。

事件から懲役三十年の判決が確定するまで、二年半ほどあったのですが、テレビのコメンテーターとかの言うことが、勧善懲悪に満ちていて。人生の岐路に立ったとき、こっち側なら大丈夫だったのに、あっち側に一歩行ったがゆえに破滅に向かう―そんな誰にでも起こり得る過ちがこの人たちは全然理解できないんだな、と。「これは私が書くしかない」と思っちゃったんです。

『つみびと』(pp.413-414)

人はこっち側とあっち側のギリギリのところを歩んでいるというのは、自分もそのとおりだなと思えました。
そして山田詠美さんの執筆の動機に近いものを、吉田修一さんもお持ちだったのではないかとも想像しました。

亡くなった子の母と祖母もそれぞれ暴力を受けており、それが連鎖しているように思えました。
母、蓮音は実の母から捨てられ、(実の母は家を飛び出し)、弟と妹の面倒を一手に引き受けてきました。
その母、琴音は実の父親からのDV(それは自分へというよりも実母のほうへ)、そして継父からの性的虐待を受けていました。
このような暴力を受けていたからといって、子どもを置き去りにして殺してもいいということは全くありません。
けれども、事件に至る過程において本当に罪深いものとは何なのかというのは考えさせられました。
それは簡単には答えが出ません。
暴力を行っていた男たちなのかと考えたのですが、もしかして彼らは彼らで何らかの「暴力」を受けていたかもしれません。
本書でそれは描かれませんが、そう考え出すとわからなくなってしまいます。
ただ、逆に言うと本書で描かれたことからだけ考えるなら、男たちが元凶のような気もします。

「つみびと」は誰なのかと考えるとともに、救いの手を差し伸べてくれる人も出てきます。
それは琴音の兄である勝とそのパートナーの佐和です。
このような人が描かれることによって、胸が締めつけられるような現実の外にある、かすかな希望も本書にあるように思えました。

今回は山田詠美『つみびと』の紹介でした。
このような事件が二度と起きないような社会を実現していきたいと強く思えた作品でした。
 
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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