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【映画#107】「シェルタリング・スカイ」『泣きたくなるような青空』より

こんにちは、三太です。

先日、学校で生徒会本部の立会演説会がありました。
昨年は出張で参加できなかったので、久しぶりに聞くことができました。
会長や副会長に立候補する生徒たちが、「学校をこうしていきたい!」「こんな取り組みをしていきたい!」とスピーチしている姿に胸が熱くなりました。
ぜひみんなの手でより良い学校にしていけたらと思っている今日この頃です。

では、今日は『泣きたくなるような青空』に出てきた「シェルタリング・スカイ」を見ていきます。
『泣きたくなるような青空』に出てくる映画7作のうちの4作目です。


基本情報

監督:ベルナルド・ベルトルッチ
出演者:ポート(ジョン・マルコヴィッチ)
    キット(デブラ・ウィンガー)
    タナー(キャンベル・スコット)
上映時間:2時間17分
公開:1990年

あらすじ

ニューヨークからアフリカを訪れた3人の男女の物語。

この3人がアフリカのどこを訪れているのかは明示されません。
けれども、上陸したあと3人が旅をするのはサハラ砂漠であり、アラブ人なども出てくることから、アフリカの北部だろうと思われます。
3人のうちの2人は夫婦。
夫はポート、妻はキット
それに同行するイケメンの青年タナーという奇妙な三角関係。
愛が消失したかのような夫婦の間に入り込む青年。
その青年を遠ざけてから夫婦の本当のアフリカの旅が始まります。
危機的な状況を前にして新たに見つめ直す夫婦の関係。
旅先のアフリカで愛とは何かを問い直す物語。

設定

・ロードムービー的
・三角関係
・雄大な景色

感想

正直とても難しかったです。
でも、この映画を自分で味わえるようになりたいとも思いました。
ちょいちょい挟まれるさりげない伏線があとから効いてくるので、ぼんやり見ていると「え?」となりそうでした。
難しかったですが、今の自分の言葉でこの映画を解釈するなら「いつまでも今の幸福があると思うなよ」というメッセージが込められているのかなと思いました。
だからこそ、夫婦の関係は冷めきっており、お互い新たな刺激を求めていて、けれども大事なものは身近にあったということがアフリカの旅を通して示されたのかなと。
それは最後に出てくる老人の言葉にも表れています。

また、ポートが病気になるくだりでは、強烈な孤独感がキットを襲います。
それは映画を見ながら実感としてイメージできました。
アフリカの地でハエが顔にたかるシーンなどから西欧の社会との遠さも感じるからです。

この映画の見どころとしては、アフリカの雄大な景色があります。
何度か出てくる丘の上から見える景色はどれも素晴らしいです。
これらの景色を見ながら以前見た「アラビアのロレンス」を思い出していました。

また映画「シェルタリング・スカイ」はチャレンジしてみたいです。

吸い込まれそうでアフリカ冬の夜

その他

・ベルナルド・ベルトルッチは「ラストエンペラー」の監督でもある。

『泣きたくなるような青空』内の「シェルタリング・スカイ」登場シーン

最近、見返した『シェルタリング・スカイ』という映画には、原作者のポール・ボウルズが舞台の北アフリカのホテルに滞在する旅人として出演している。
彼はこの映画の最後に次のようなことを語る。
「あと何回、満月を見られるだろう?
実際には二十回くらいだろう・・・
だが、人はその機会が永遠に訪れると思っている」

『泣きたくなるような青空』(pp.116-117)

これは「無音の世界」というエッセイの一節です。
このエッセイでは無音の世界が感じられる場所が列挙され、それらの場所について語られます。
例えば、内モンゴル自治区の大草原、アメリカのグランドキャニオン、富山県南砺市のオーベルジュなどです。
引用の直前には、19歳の頃、長崎に帰省したおりに感じた無音の世界が述べられています。
そして、このエッセイのラストとして映画が引用されているわけです。
映画の引用がどういう意味で使われているのかを考えるのは少し難しいです。
おそらく自分の周りの世界をしっかりと感じることが大切だよという意味で使われているのかなと思いました。

吉田修一作品とのつながり

今回もちょっと難しいです…。

以上で、「シェルタリング・スカイ」については終わります。
私をわかるまで待っているわよと言われているような映画との出会いでした。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

出典:「映画ドットコム」

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