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【映画#103】「酔拳」『犯罪小説集』より

こんにちは、三太です。

あけましておめでとうございます。
2024年となりました。
なったからといって何かが大きく変わるわけではないのですが、やはりお正月のおめでたい気分は良いですね。
先日、2023年に読んだ本をふり返ってツイート(ポスト)したのですが、本当にたくさん良い本に出会えたなと感じました。
もちろん良い映画にもたくさん出会えました。
2024年もきっといい出会いにたくさん巡り合えるような気がしています。
これからの一年が楽しみになってきました。
そんな感じで今年もよろしくお願いします。

では、今日は『犯罪小説集』に出てきた「酔拳」を見ていきます。
『犯罪小説集』に出てくる映画2作のうちの1作目です。


基本情報

監督:ユエン・ウーピン
出演者:フェイフォン(ジャッキー・チェン)
    ソウ・ハッイー(ユエン・シャオティエン)
    師範代(ディーン・セキ)
上映時間:1時間51分
公開:1978年

あらすじ

父の武道場に通うジャッキー・チェン演じるフェイフォン
修行を真面目にしなかったり、町ではきれいな女性をナンパしたりして、フラフラしている彼を父のケイインは修行へ出します。
修行先は酔拳の達人であるソウ・ハッイーという師匠のもとでした。
山奥の小屋にこもり、ひたすら受け身と基礎トレーニングをする日々に、フェイフォンは嫌気がさし、逃げ出します。
逃げ出した先で出会ったのは、殺し屋の男
腕に自信があったフェイフォンは彼に挑みますが、あえなくずたぼろにされます。
これが悔しくて悔しくて、フェイフォンはもう一度ソウ師匠のもとへ戻って修行をし直します。
そして今度は酔拳を伝授してもらい、もう一度殺し屋と相まみえます。

設定

・アクション
・ビルディングスロマン
・ちょっとしたユーモア

感想

一度見た気があるような気もしつつ見ていましたが、今回改めて感じたのはアクションが芸術だなということです。
ある意味無駄な動きもあり、相手をやっつけるだけならその動きではないだろうというところに、むしろ芸術性を感じました。
ジャッキー・チェンの動きがキレキレなのも素晴らしいです。
また、あまり詳しくはないのですが、プロレスの動きにも似ているのかなと思いました。
戦っている者同士が絵を作っていく感じがそのように思えました。

私の書いたあらすじではフェイフォン視点で、成長譚として捉えているのですが、父のサイドストーリーも本編には出てきます。
そういうこだわりというか細かい点があるのに、最後の戦闘シーンで背中についているはずの砂が消えることが少し気になりました。
どうでもいいことですが、どうせこだわるならそこにもこだわってほしかったという感じでしょうか。
いずれにせよ、アクションは素晴らしく、まさにエンターテインメントといえる映画です。

山頂の師はベロベロで寒稽古

その他

・ウィキペディアより
→『スネーキーモンキー 蛇拳』の姉妹編という位置づけの作品。
→ジャッキー扮する主人公黄飛鴻(ウォン・フェイフォン)は清朝末期に実在した洪家拳の達人。彼の若かりし日の物語という設定のフィクションである。内容は完全なオリジナルである。
→ソウ・ハッイーを演じたユエン・シャオティエンの息子が監督のユエン・ウーピン。

『犯罪小説集』内の「酔拳」登場シーン

一階に下りた永尾は、裸足のまま玄関を飛び出し、ひんやりとした石畳の上で振り返ると、厳めしい防犯カメラの前に立つ。
今、ここに立っている自分の姿を、守衛室に残った同級生たちが顔を寄せて見ているはずで、永尾はまずヒントとして、先日みんなで観に行ったジャッキー・チェンの映画『酔拳』の物まねをする。
カメラの向こう、守衛室でみんなが笑い転げている様子が目に浮かぶ。

『犯罪小説集』(p.174)

これは百家楽餓鬼(ばからがき)という短篇に出てくる一節です。
永尾というのはキャンブルに身を崩していくこの話の主人公です。
その永尾が少年時代に自分の家で友達と遊んでいるシーンに「酔拳」が出てきます。
「酔拳」の内容に特に大きな意味はないように感じましたが、公開されたのが1978年なので、その時代のことだよというようなメッセージにはなるかなと思いました。

吉田修一作品とのつながり

ちょっとよくわからなかったです。

以上で、「酔拳」については終わります。
アクションが芸術とも言える作品でした。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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