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【閑話休題#42】河﨑秋子『ともぐい』

こんにちは、三太です。

今回はこちらの作品を読みます。

前回の【閑話休題#41】で、第170回芥川賞・直木賞受賞作から考えたことを書きました。

簡単に言うと、文学における土地(地名)の意味の話です。
ただ、実は3つある受賞作の中で、まだ何一つ読んでいないということもあり、今回、河﨑秋子さんの『ともぐい』を手にとりました。

3つの中でなぜこれだったのかというと、「北海道」「熊文学」というワードに興味を持ったからです。
マンガの『ゴールデンカムイ』が好きというのもありました。
関連付けて、あるいはイメージを持って読めるかなということと、北海道や沖縄など日本の辺境にある地に興味を持っていたので、手にとったという感じです。


あらすじ

明治期の北海道
人とのまじわりを極力避け、山で独り生きてきた男、熊爪
熊爪と熊との死闘。
死闘を経て、芽生えた人のぬくもりを求める思い。
それでもなお残る生きることへの模索、生き方への葛藤。
そして、明治という時代のおおきなうねりが熊爪やその周囲に生きる人間達に押し寄せます。

感想

読み終わって思ったのは「そうなるかあ・・・」といった思いでした。
この言葉では何も表せていないようにも思えますが、本当に自分の中ではこんな感じでした。

では、北海道という地がどのようにこの作品に生かされているか考えてみます。
まずは「大自然」で暮らす熊爪ということや、もちろん「熊」との死闘もありますし、熊爪の育ての親は「アイヌ」に関わる人でした。(アイヌの人ではなく、アイヌの村で育った人)
また、北海道の「厳冬」は作中に効いていますし、「炭鉱」の話が出てくるのも(これはもしかして北海道だけに関わらないかもしれませんが)北海道ならではだと思いました。
そういう意味でいうと、やはりこの作品は北海道という土地がとても効いている作品だと言えそうです。
そもそも河﨑秋子さん自体が、生まれも育ちも北海道で、これまで書いてきた作品も「動物と北海道の近現代史を題材とした」(ウィキペディアより)ものが多いそうです。
北海道という地は作家の中で描きたい土地なのだと思います。

『ともぐい』を読む中で感じたのは、現代社会との違いでした。
生と死があまりにも近かったり、熊爪にとって理解できない人間と逆に理解できる自然という転倒であったり、そういったところで現代社会の普通に投げかけるものがあるのかなと思いました。

また、熊や鳥の習性もたくさん作中の中で生かされています。
例えば、烏について、次のような描写が出てきます。

食われているのは、獣ではない。他の種の鳥ではない。烏が、烏を食っていた。黒い羽を引きむしり、皮を裂き、肉と内臓を食い尽くす。同種食いは珍しいことではない。ことに烏には普通のことだ。

『ともぐい』(p.190)

烏の同種食いの描写です。
私はこれを読むまでそんなことがあることを知りませんでした。
河﨑さんの知識が熊爪に乗り移って、自然の中で生きる男の知恵(のようなもの)を伝えます。

また、文学作品ということもあり、当然ながら比喩など表現技法も巧みです。
例えば、次のような比喩です。

良輔の家と店がおかしなことになっている。熊爪は与り知らぬし、彼らに何があっても別段関係のない話だ。それでも、これまで滔々と流れていた小川に強引に堰が作られ、水がじわじわ溢れ続けているような不穏さがある。溢れた水は離れた場所の土まで湿らせるのだ。

『ともぐい』(p.179)

良輔というのは熊爪にとって唯一と言ってもいい関わりのある、町の人で、熊爪の獲ってきた鹿や熊を買い取ってくれる人でもあります。
その良輔の営む店が時代の流れに翻弄されつつある状況を比喩が巧みに捉えます。
比喩はありすぎると、逆に文章がつかみにくくなります。
けれども、河﨑さんの作品では要所要所に楔を打つように比喩が出てきます。
比喩をはじめ、文体も含めてとても読みやすい作品だったなと思いました。

臭い立つ男が睨む孕鹿

今回は河﨑秋子『ともぐい』の紹介でした。
文学と土地についての関わりを感じることができて良かったです。
 
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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