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【閑話休題#41】第170回芥川賞・直木賞受賞作より

こんにちは、三太です。

先月、1月17日に第170回芥川賞・直木賞が発表されました。
もう一月ほど経つので、少し前の話になりますが・・・。

吉田修一さんが芥川賞の選考委員をされている関係で、毎回受賞作については少し気にして見ています。

今回は芥川賞が九段理江さんの『東京都同情塔』。

直木賞がダブル受賞で一つが河﨑秋子さんの『ともぐい』。

もう一つが万城目学さんの『八月の御所グラウンド』。

この3つの作品を見ていて、少し気づいたことがありました。

それはいずれも実際にある地名が舞台となっていること
『東京都同情塔』はタイトルにもあるように、東京。
『ともぐい』は熊文学で、北海道。
『八月の御所グラウンド』は御所が舞台で、京都。

基本的にはどんな作品も舞台はありますが、今回の3作品はけっこうこの地名が効いているのかなと思ったのです。

吉田修一さんの作品も地名(あるいは地域)がけっこう重要なものが多いです。
例えば、私の好きな『悪人』は九州北部(博多・佐賀・長崎)。
芥川賞受賞作の『パーク・ライフ』は東京の日比谷公園。
他にも、『東京湾景』はお台場。『長崎乱楽坂』は長崎。『ランドマーク』は埼玉・大宮・・・。

また、瀧井朝世さんとのインタビューでは次のように語っておられます。

吉田 小説を書こうとする時に、ほとんどの方々は物語→登場人物→舞台(場所)という順番で決まっていくそうなんですよ。ただ、僕の場合、まったく逆で、場所が決まれば、そこに立っている登場人物が浮かんでくる。そして乱暴な言い方をすると、ストーリーはどうでもいいんです。場所と人さえあればいい。だから場所がいちばん最初なんです。
――昔からそうですか。
吉田 どうかな。途中くらいから、場所が決まれば書けるんだなと思うようになったと思う。でも最初の頃の短編も、「Water」は間違いなく長崎の高校のプールだし、「最後の息子」は新宿だし、「破片」(『最後の息子』所収)も長崎の実家の近くだし。ただ、当時は場所があるから書けると思ってはいなかった。「パーク・ライフ」くらいからですかね。場所を決めて書くタイプだと気づいたのは。

文春オンライン
「70年前も70年後も、人間は人間として在るはずだという思いで書きました――吉田修一(1)
話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」」
2016/04/30

吉田さんにとっては場所(と人)が物語の源泉となっていると語っておられます。

同じように、絲山秋子さんもその作品に地名がよく出てくる作家さんだそうです。
そんなにたくさん読んだわけではないのですが、(『イッツ・オンリー・トーク』、『袋小路の男』、『沖で待つ』など)、『文學界2023年10月号』の「絲山秋子特集」に次のように書かれていました。

――群馬県をはじめ、福岡県や富山県など、数々の地域をリアルに書かれてきた絲山さんですが、今回、黒蟹県という架空の県を舞台になさったのはなぜでしょう。
絲山 具体的な土地を舞台にすると、いろいろ気をつけなければいけないことも出てきますし、もう少し自由に町を設計したい気持ちもあって。何より、架空の県を舞台にしたことで、とにかくリアリティに徹することができました。
 もちろん実在の土地でなくても、ネガティブな印象にならないかということは強く意識しています。それから、著者の存在が悪影響とならないように、すごく考えながら執筆しています。
 でも架空の世界が舞台だからできることも多くて、この作品ではギリギリまでリアルに徹して書くことができたと思います。狐町の町長や、黒蟹青年アソシエーションなどは、リアルな土地を舞台にしたら書けませんでしたね。

『神と黒蟹県』という本についてのインタビューです。
絲山さんによると、実在の土地のメリットもありますが、架空の舞台を設定するメリットもあるようです。

以上、文学における「地名」について見てきたわけですが、それが実在の地名であろうが、架空の地名であろうが、それぞれに効果や良さがありそうです。
これから読む作品では地名の効果などを意識して読んでみたいです。

そして、ここまで書いてきてなんですが、実は今回の芥川賞・直木賞の受賞作をまだ1作も読んでいません・・・これはまずい・・・。
勤務校の図書館にはもう3冊とも入っていました。
まずは河﨑秋子さんの『ともぐい』を読んでみようと思います。

今回は第170回芥川賞・直木賞の受賞作から考えたことでした。
 
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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