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【映画#100】「グエムル」『作家と一日』より

こんにちは、三太です。

ついに吉田修一作品に登場する映画の紹介が記念すべき100作目となりました。
なんだか映画を100作も見てきたのかと(閑話休題も含めるとすでに越えていましたが)感慨深いです。
ただ、まだ吉田修一作品は出続けていますし、これからもコツコツと見続けていきます。
とりあえず一つの節目としておきたいと思います。

では、今日は『作家と一日』に出てきた「殺人の追憶」を見ていきます。
『作家と一日』に出てくる6作の映画のうちの4作目です。


基本情報

監督:ポン・ジュノ
出演者:カンドゥ(ソン・ガンホ)
    ヒボン(ピョン・ヒボン)
    ナミル(パク・ヘイル)
    ナムジュ(ペ・ドゥナ)
    ヒョンソ(コ・アソン)
上映時間:1時間59分
公開:2006年

あらすじ

2000年、在韓米軍の基地から垂れ流された薬品。
6年後、漢江に突如現れたエイリアンのような怪物(グエムル)。 
漢江のほとりで売店を営んでいたカンドゥという男性とその家族。
カンドゥの娘であるヒョンソがこの怪物に連れ去られてしまいます。

       左が娘のヒョンソ、右が父親のカンドゥ


一時はもう死んだかと思われましたが、ヒョンソから電話があり、まだ生きていることが明らかに。
しかし、カンドゥらは怪物と接触したため、ウイルスを撒き散らさないようにという理由で政府に強制的に隔離されます。
ヒョンソを救うためにカンドゥ家族は病院を抜け出し、検問を突破し、漢江に向かいます。
無事、ヒョンソを救うことはできるのでしょうか。

設定

・怪物
・米軍の影響
・ウイルスとの戦い

感想

怪物が出てくるという荒唐無稽な話でありながら、ハラハラドキドキしながら見られて、とても面白かったです。
一見怪物が出てくるということもあり、緊張した状態が続くのかと思いきや、その緊張と弛緩が巧みに使い分けられていて、ずっと面白いです。
弛緩を作り出すうえで、ソン・ガンホ演じるカンドゥが良い味を出していました。
また、カンドゥの父親も真剣に馬鹿げており、こちらも良いキャラです。

怪物は在韓米軍の基地から垂れ流される毒薬が原因になっていると思われ、公害のメタファーなのかと思いました。
そこからも見えてくるように、この映画は、大きくはアメリカに翻弄される韓国が描かれているようです。
何度も上から目線のアメリカ人が出てきます。
また他にも社会問題が、役人の腐敗や「荒らしはひもじい人間の特権」という兄弟やカンドゥのネグレクトのような育ちに描かれていると思いました。
怪物のウイルスを恐れて、皆マスクの光景が出てくるのですが、コロナ禍の世界とまさに一緒でした。
映画的な想像力ですでにコロナ禍は描かれていたんですね。
これでポン・ジュノ監督の作品を見たのは3作目なのですが、この監督の映画は全部見たくなりました
それぐらい面白いです。

怪物がユーモア連れて冬の橋

その他

ウィキペディアより
→作品には風刺的要素も含まれており、監督のポン・ジュノ自身が反米的な要素について解説している。

『作家と一日』内の「グエムル」登場シーン

内容としては、ソン・ガンホ(『殺人の追憶』や『グエムル』の主演俳優)似の、やんちゃなお兄ちゃん風の男性が司会で、若く可愛らしい男女のタレントさんを連れ、毎回韓国の地方を訪ねて、そこで一泊二日するというものだ(と思う)。

『作家と一日』(p.51)

前回の記事「殺人の追憶」と同じで、これは「各国のバラエティ番組」というエッセイの一節です。
このエッセイでは吉田さんが旅先でその国のテレビ番組をよく見るという話がされます。
この引用箇所では韓国の番組の紹介がされています。
映画のことは、特に本文の内容とは関係なく、ソン・ガンホ似ということを言いたかっただけかなと思いました。
しかし、どちらもポン・ジュノ監督の作品であり、以前には「ほえる犬は噛まない」というポン・ジュノ監督の長編映画デビュー作も出てきました。
吉田さんはきっとポン・ジュノ監督の作品が好きなんだと思います。

吉田修一作品とのつながり

社会問題を作品の中に取り入れるという手法は共通しています。

以上で、「グエムル」については終わります。
緊張と弛緩の使い分けが巧みな映画でした。

それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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