見出し画像

noteでよかったこと/数十年の思い込みに記事を書くことで気がつけた/激怒した校長先生と孫悟空

記事にしようと振り返ることで、数十年間の思い込みが変わる出来事を体験しました。

その出来事について書いてみたいと想います。


■はじめに

この人は失敗に気がついていないのでは?と思っていた、子供の頃の出来事が2つありました。

誰かが失敗について教えてあげる。あるいは場の雰囲気から何かあったの?と質問していたら。この人は失敗に気がつけただろう。もったいない。

数十年間ずっと心の中でそう思っていたのでした。

その失敗に気づいていない人を記事にしてみようと振り返る中、出来事の見方が変わったのです。


私はその人が失敗をしたと思っていました。しかし、周りにいた他の人も自分と同じように考えているか、確認はしていませんでした。

確かめていないのですから、まわりの人が自分と同じように感じていたかは分からないぞ、と気が付いたのです。

自分の考え、行動に対して、フィードバックを得ていないという意味で、失敗したのに気づかずもったいないなと思った相手と自分も同じでは?と気が付いたのです。

この記事で言いたかったのは、noteの記事にしようと振り返ったことで数十年前の出来事でも違った見方ができるようになる可能性がある。ということです。

些細な出来事でも記事にしようとすると何か良いことがあるかもしれません。

言いたいことはここまでで、以下はおまけのようなものです。

どんな出来事だったのか、書きますが、うまくまとまらず長文です。ここまでで「なるほど」と思われましたら、スキをいただければうれしいです。(笑)


それは子供の頃の、こんな出来事でした。

■縁日での紙切り名人

小学生の頃、近所の縁日に紙切りの名人がきました。名人は自分の持ちネタをいくつか披露した後、集まった聴衆に「欲しいものを何でも切るよ」と呼びかけました。

私より少し年下の男の子が「そんごくう」とリクエストしました。

私の心の中「漫画ドラゴンボールの孫悟空だな。確かにそれを切ってくれたらうれしいよね。」

名人は得意げに紙を切り始めました。ほどなく出来上がったのは、西遊記の孫悟空でした。


当時思ったこと

えっ?、このおじさん、ドラゴンボールの孫悟空を知らないの?西遊記の孫悟空のはずがないじゃん。もらった子も微妙な顔をしてるし、かわいそう。

なんか場の空気も変だぞ。この人、気がついていないのかな。これでいいかって聞いたらいいのに。誰か教えてあげないのかな。

振り返って思ったこと

あの子が欲しかったのは、ドラゴンボールの孫悟空なのか、西遊記の孫悟空なのか、それはあの子に聞かないとわからない。西遊記の孫悟空だったという可能性も否定できないな。

仮にドラゴンボールの孫悟空が欲しかったのだとしても、切ってもらった西遊記の孫悟空は良くできていた。だから、案外気にしていなくて喜んでいた可能性もある。

周りの大人がどちらの孫悟空をイメージしたかも分からない。


■文化祭で激怒した校長先生

文化祭の開会式での出来事です。私にとって初めての文化祭でした。時期は9月。暑い夏が終わり秋が始まるという時期でした。

初めに校長先生の挨拶がありました。校長先生はいつも真面目な話しかしない方でした。

「今日も校長先生の長い真面目な話が始まるのかな?」と思っていたところ、校長先生が開口1番。

「なついあつっ!」

ああ、言い間違えたのだなと思いました。少し間を置き、校長先生は話を再開しました。

「なついあつっ!」そして沈黙。

体育館がざわつき始めました。私も何だ?と思いました。2度の「なついあつっ」。加えて絶妙な間。

私の心の中「まさか校長先生は「暑い夏を、なついあつ」と言い間違える、ベタなボケを披露しているのではないか?」

周囲のざわつきがだんだんと大きくなっていきます。そして、体育館はどよめきのような大爆笑につつまれました。

私の心の中「文化祭を盛り上げようとして、あの堅物の校長先生が冗談を言っている。これ笑ってあげないわけにはいかないでしょ?これが文化祭なんだなあ。すごい!」

そんなことを考えていると校長先生が、マイクを手に一言。


校長「バカモーン!!!」


私の心の中「えっどういうこと?」

校長「君たちは人の失敗を笑うとは何事だー!君たちには人の気持ちを考える優しさがない。そんなことを教えてきたつもりはない。全く情けない!!」

説教が始まりました。正直とまどいました。

私の心の中「校長先生、あの間、絶対ウケを狙ってきてたでしょ?言ったこと自体は面白いわけじゃないけど、普段真面目な校長先生が文化祭を盛り上げるために冗談を言っている。だからみんなそれに応えて笑っているんだよ?人の気持ちを考える優しさがないのはどっちだよ?」


当時思ったこと

本当に失敗したのだとしても、結果的に大爆笑がとれたのだから、どんと構えて「間違えちゃった」くらいに言っておけばよかったのに。

我を忘れて説教して本当にもったいない。だれか「生徒は馬鹿にして笑ったのでなく校長先生の想いに応えて笑ったんだ」と教えてあげたらいいのに。


振り返って思ったこと

私は確かに校長先生が冗談を言っていると思って笑った。しかし、それを同級生に確認した記憶がない。私と同じように、思いやりとして笑った生徒もいたかもしれない。

でも、ただおかしくて笑った生徒もいたのかもしれない。どちらが多かったのかも分からない。大半がおかしくて笑ったのなら、校長先生が怒ったのも正しいのかもしれない。

校長先生が我を忘れて怒ったのか、あえて心を鬼にして大げさに怒ったのかそれも本人に聞かないと分からない。


■記事にすることで自分の思い込みに気づき見方が変わった

どちらの出来事も真実は分かりません。しかし、記事にしようと振り返る中で数十年間変わらなかった、自分の物事のとらえ方が変わったのは間違いありません。

記事にしようと振り返るなかで、思い込みに気づき新しい見方ができるようになる。noteをやっていて良かったと思った出来事でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


この記事が参加している募集