痣 第2話
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東京湾の魔女
地方にしては、そこそこの規模の駅と言えるだろうか。
待合室で、数人の利用客が暇そうにテレビを眺めている。
深夜。ニュース番組のトップで、岐阜の田舎町で起きた事件が報じられた。
【今日午後6時頃、住宅から火の手が上がっているとの通報があり、警察と消防が駆けつけました。
火は2時間後に消し止められましたが、木造平家建ての住居一棟が全焼。
焼け跡から、この家に住む五百扇泰造さん・68歳と見られる遺体と、身元不明の女性の遺体が発見されました。
遺体の頭部には殴られたような痕があったということです。
また、五百扇さんの18歳の双子の息子のうち、弟の影彦さんの行方が分かっておらず、残った長男に事情を聞いています。
焼け残った金庫には、こじ開けられたような形跡があり、保管していた1億円が無くなっていたことから、警察は強盗殺人放火事件とみて捜査を進めています……】
アナウンスとともに、暗闇の中での消火活動の様子が流された。
炎に包まれた太い梁が、音を立てて崩れ落ちていく。
待合室の入り口付近で、人影が動いた。
◇
「お見事です」
頭から爪先まで。漆黒の被り物で全身を覆った人物が、闇に向かって呟いた。
その声は男とも女とも判別がつかず、若者と言われても老人と言われても首を捻りたくなる。
正体を知りたくとも、被り物の奥は闇だ。
禍々しい気を纏う様は、魔女と呼ぶに相応しいかもしれなかった。
「賭けは、あなたの勝ちですね」
被り物の内側から、くつくつと密やかな忍び笑いが漏れ出す。
「あなたと同じようなことを言う人がもう一人いるとは。
まったく、面白い世の中だ。
こちらは、相応の対価をいただければ構いませんがね」
その饒舌さは、暗い海に語りかけるには些か不釣り合いであった。
しかし、それが余計にこの魔女の底知れなさを炙り出す。
魔女は愉しげに言葉を継いだ。
「ただし、これで終わりとは限りませんよ」
過去を隠し通せるかどうかは、本人次第──。
◇
「風岡つぐみさん」
夕刻の雑踏の中で、誰かが人の名前を呼ぶ。
「社員証、落としましたよ」
一人の女性が反応した。
振り返った拍子にボブカットの髪が靡き、白い肌が露わになる。
「すみません……!」
風岡つぐみは、社員証を拾い上げてくれた人物へと駆け寄った。
親切に声をかけてくれたのは、スーツ姿の整った顔立ちの男だった。
柔らかそうな髪に夕陽を受け、褐色に光って見える。
つぐみは、時が止まったかのように表情を固めた。
甘い容貌に見惚れてしまったとも取れるが、その様子は少々おかしい。
「つぐみって……鳥の名前ですよね。渡り鳥の」
男は異変に気づかない様子で、にこやかに社員証を手渡してくる。
「素敵な名前だ。あなたに良く似合う」
真っ直ぐ見つめてくる男に、つぐみは「ええ……」と曖昧に返した。
強張った表情ながら、目には相手を探るような色が宿り始める。
社員証の上に名刺が重なった。
男が、スーツのポケットから出したものだ。
つぐみはキュッと唇を引き結んだ後、一転して蠱惑的な笑みを浮かべた。
「あなたも、素敵なお名前ですね。五百扇雪彦さん」
つぐみ
運命的な出会いを果たした23歳の男女。
2人が親密になるのに、時間はさほどかからなかった。
「きっと運命なんだ。
俺は、君と出会うために東京に来たんだよ」
明け方。うっすら光が差し込むベッドの上で、五百扇雪彦は、名残惜しげに風岡つぐみの耳に囁いた。
雪彦が情熱的に囁くと、つぐみはいつも微笑して彼の胸に身体を預ける。
つぐみは積極的に甘い言葉を口にすることはないが、雪彦はそれでも満足しているようだった。
「俺は真剣なんだ。結婚しよう」
雪彦は、この日も真剣な様子で言った。
「まだ早いわ。もう少し、恋人同士でいたいの」
つぐみは困ったように微笑し、コーヒーを淹れに立ち上がる。
ここは雪彦の部屋だが、つぐみは物の置き場に迷うことはない。この1Kの部屋には、つぐみの私物が当たり前のように収まっている。
雪彦のスマートフォンが鳴った。
彼は初め、先日の着信に気づかなかったことを詫びているようだったが、やがて「そんな……」と言ったきり絶句する。
雪彦はそのまま電話を切ってテレビをつけ、ニュースを放送しているチャンネルに合わせた。
【岐阜県の山中で、白骨化した遺体が発見されました。
昨日午後1時頃、山を管理する自治体の職員が、土から一部はみ出した状態の遺体を発見し、警察に通報しました。
先日の大雨の影響で、埋められていた遺体が露出したものと思われます。
遺体の身元は分かっていませんが、警察では、5年前の『岐阜 資産家強盗殺人放火事件』から行方不明になっている、五百扇影彦さんではないかとみて調べを進めています。】
マグカップが、けたたましい音をたてて床に落ちた。
「ごめんなさい! 私ったら」
つぐみは、慌てて割れたカップを片付け始めた。
雪彦はテレビの前に座り込み、呆然としている。
「雪彦さん?」
零したコーヒーの始末を終えてからも、雪彦は微動だにしない。
つぐみが何度か呼びかけると、ようやく「ああ」と呻うめくように応じた。
「警察から連絡が……これ……」
雪彦は震える指でテレビを指す。
つぐみが雪彦の背に手を置くと、彼は堰を切ったように胸中を曝け出した。
「俺の弟なんだ、双子の。
5年前の事件の、俺は、あの家の」
つぐみは、全身を震わせる雪彦を抱きしめる。
「そうだったの……。
私、テレビであなたと同じ苗字を聞いて驚いたわ」
子どもをあやすように優しく背を撫でられた雪彦は、縋るように、つぐみの胸に顔を埋めた。
どれくらい抱き合っていただろうか。雪彦が少し落ち着いた声を出した。
「一度、帰らなければいけない」
「ええ。早い方が良いかもしれないわね」
雪彦が、つぐみを掻き抱いた。
「一緒に来てくれないか」
つぐみは肩をビクッと揺らし、強い力で雪彦を引き離す。
「嫌よ!! もう、あっ」
つぐみが口を押さえた。
雪彦は、聞いたこともない彼女の剣幕に戸惑ったような顔をする。
「ああ、ごめんなさい。私、動転してしまって」
今度は、つぐみが雪彦の胸に取り縋った。
良いんだよと呟いて、雪彦はつぐみの身体を手でなぞり始める。
「ごめん、無茶を言って」
言葉と裏腹に、雪彦の手の動きは切迫していく。
つぐみを床に押し倒した時、インターホンが鳴った。
2度、3度と繰り返されるが、雪彦が構う様子はない。
だが、外にいる来訪者も諦めて引き返すつもりはなかったようだ。
「五百扇さん! 居るんでしょう!?
分かってるんだから!」
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