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春のような温かさがいつもある学校に… 物事の本質を見極め、信念に従って行動しようとする君を尊敬する 〜心の宝物195

🌷生き生きと率直に


山に囲まれた小さな学校
いよいよ秋が深まってきました。強く冷え込んで、恵那山や、長野県境の山並みの頂付近が雲に隠れているような日の翌朝は、大抵その部分が白く雪を纏っていました。快晴の朝、遠い山並みの一定の高さから上が、まるで線を引いたように、くっきりと白い衣を纏い、青空に映えている様は、息を呑むほど美しく、自然の力の豊かさと大きさを実感させられたものでした。

この頃から、5年生では、様々な場面で、来るべき最上級学年としての自分たちや、その一人としての自分の在り方を見つめ、生き方を考える取り組みが始まります。その一環として、私も1時間、学級活動で話をしました。「5年生に願うこと」というテーマで、校長の目から見た、学級や個人のここまでの歩みと成長を振り返り、敬意と感謝を伝えること、それぞれのペースを大切にしながら、成長し合うこと、最上級生として果たすべきミッションと、それを実現するために個人として、学級としてどうありたいかを自分ごととして考えてほしいこと等を、時に問答を挟みつつ伝えました。

「次期リーダーとしての自分達に校長が直接期待を伝える」という授業は、子供たちにとってはやはり特別であったようで、子どもたちはある種の高揚感と共に、私が話すことを肯定的に受け止めようとしていました。

そんな中で、彼女の個性が光りました。
集中して生き生きと聴いてくれてはいましたが、無条件に受け入れようとするのみでなく、自分なりのフィルターを通し、それが真実かどうか、私の言葉が、大人の都合で自分たちを巧みに操作しようとしているそれなのか、真に自分たちの成長を願う思いから出たものなのかをきちんと見極めようと能動的に聴いている。時折挟む率直な質問から、メガネの奥の強い視線から、そんな真剣さが伝わってきました。

🌷物事の本質を見極めようとする君の力と行動力はもう十分最上級生のそれだと私は思う


ある日の掃除時間、5年生の教室に伺いました。どの子も、その子なりの懸命さで取り組んでいました。
ちょうど机つりのタイミングでした。5年生の机も椅子も、もう大きなサイズになっています。「コロナ以前」のその頃は、学校に教科書や資料を置いておくことは推奨されていません。日々持ち帰っては翌朝ランドセルから自分の机の中に入れる教科書類の種類も多く、それらを全て合わせた机の重量は相当なものでした。

決して大柄ではなく、むしろ華奢な彼女でしたが、上に載せた椅子ごと、全身を使って机を持ち上げて運び、壊れ物を扱うようにそうっと下ろします。
「床に傷をつけないように」という認識は共有されており、乱暴に押したり引きずったりする子は一人もいません。その中でも、彼女の作業の繊細さは際立って見えました。少し怒ったように見えるほど真剣な表情で、緊張の糸を緩めることなく取り組む姿からは、そうすることの意義を自分なりにしっかりと理解し、その判断に基づいた行動を妥協なく選択する力が、そうしないではおかないという強い決意が伝わりました。

ずいぶん重いだろうに、重さに任せて、多少どすんと下ろしても、何の差し障りも、まして恥ずべきこともないのに。それら一切の妥協を排除するような君の姿には、私も背筋を伸ばさずにはいられない力を感じます。何が君をそこまで駆り立てるのだろう。

机をその子自身に、床を学級の仲間全員の顔のように見たて、だからそれに傷をつけないことに最善を尽くすこと、絶対に妥協しないことを自分のミッションと定める。そんな想いが伝わります。
それが先生の話であれ、掃除であれ、物事の本質をしっかりと見つめようとするあなたの力、自分なりの理解に基づいて判断し、実行するあなたの力はすでに十分に最上級生の、いや、自立した大人としての頼もしさを備えていると私は思う。

そんな想いでお伝えしました。

かけがえのないあなたへ
素敵なきらめきをありがとう
出会ってくれてありがとう
生まれてきてくれてありがとう
どうか、ありのままで
どうか、幸せで

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