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誰も知らない

というタイトルの割には、多くの人に知られている映画。これだけ地味で
悲惨で救われようがない映画が、多くの人に見られていることがすごいと
思う。
私はこの映画をもう一度見たいとは思わないが、見なければよかったとも
思わない。映画を見ている間、緻密な脚本、抑制された演出、精度の高い
撮影などに感心しつつも、心の奥では映画が早く終わってくれることを祈っていた。

YOUの演じる母親が4人の幼い子供たちを完全に見捨てて出ていくまでが
50分。長い。結果的に母親が子供たちを見捨てるまでのシークエンスにこれだけの尺を割いたことで、映画は140分という長尺になった。

監督の是枝裕和が様々な演出上の工夫を凝らして、この地味で悲惨で救いのない物語を映画として飽きさせないように仕上げたことは流石だと思う。

それでも物語の絶望が強すぎるので、長すぎる上映時間に見ている私自身も
やや絶望的な気分になった(これが監督の狙いなら大したものだが)。

見捨てられた子供たちは、もはや泣くことすらしない。ただ、渇いたまなざしと渇いた言葉を観客に投げつけるだけだ。長男の口からコンビニ店員の女性に語られたように、行政を頼った時点で彼らの家族は一家離散となるので、わずかな金と食料の無心以外で大人を頼ることはできない。

おそらく監督が母親が子供たちを捨てるまでにこれだけの時間をかけたのは、育児放棄の母親を単なる悪人にはしたくなかったからだろう。言うまでもなく母親の行為は無責任極まるのだが、子供たちの(何人かの)父親も
同じく無責任なのは疑いない。無責任を単なる悪と断定する思考停止を是枝は避けようとしたのではないか。

「誰も知らない」がその絶望のあまり時間が長すぎるというのは私の主観だが、クライマックスでの音楽の使用についてはミスチョイスだと思う。

幼い次女が不慮の事故で死亡し、長男と友人の女子は次女の遺体を成田空港付近の河川敷に埋葬しに行く。その帰り道の電車の中で泥まみれのふたりが
絶望的な表情で佇んでいるシーンに、透明感のある歌声で感傷的な音楽が流れる。
これはない方がよかった。これまでの演出と同様に抑制するべきだったろう。子役に泣かせる芝居をさせたくないので、感情表現の代理効果で使用したのだろうが、観客はここで一時センチメンタルな気持ちになったところで
大して意味はない。

柳楽優弥はこの俳優デビュー作でカンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞したが
正直、是枝はよくこの少年を見つけたものだと思う。観客を飽きさせない様々な演出上の工夫と書いたが、最大の工夫が主役の長男を演じた柳楽の
まなざしの強さと表情だったのは間違いない。

この映画の成功した要因の半分は柳楽の(演技ではない)表情だと言っていいだろう。

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