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過去を振り返って自分を見つめる

こんにちは。
昨日の記事、憂鬱ミッションをこなさないといけなかったので、心が不安定でした。

結果、ミッションは心配するほどでもなくあっさり完了した。
その出来事を起こす前が一番がしんどいんですね。
”心配の9割は起きない”というのは、真実ですねぇ。

母が変わった。(私も?)

実家に帰る前日ものすごく精神的に不安になって、内観をしつつ母親のことを考えていました。
すると「怒り」と「嫌悪」がどんどん湧いてきて、泣き喚いた。笑
過去の嫌な出来事、今まで言われてきた言葉、抑圧や縛りつける言葉を思い出しては沸々と怒りが湧いて辛かったです。
だから、またどうせ帰っても嫌な思いをしてしまう。だっていつも実家から帰るときはモヤモヤと重い気持ちを引きずって帰ってるんだもの。

でも、今回は大丈夫でした。一泊しかしなかったし、長い時間一緒にいたわけではないからだとは思うけど、普通にイライラせずに話すことが出来た。
母はもともと嫌韓の人でした。
今年71歳になる親世代はアンチが多いみたいです。
しかし、ネトフリでドラマを観るのが趣味になり、ついに韓ドラに手を出したのです!!!!
美容師さんの誰かのおすすめで。美容師さんありがとう!!!!!
毎日韓ドラを観ている母は、だんだんと明るくなり笑う事が増えたと言います。
今まではいつも眉間にしわを寄せ不満そうな顔をしていました。
発言もネガティブなことばかりでした。
でも、韓ドラで色々学んだみたいです。
私も韓ドラもK-POPも大好きです。
だから共通の話題ができました。
いつも実家に帰っても話題がないから、
「〇〇ちゃんは結婚した?子供生まれた?」
そんな話ばかりだったのです。
それが、「あのドラマのあの人がかっこいい!韓国って〇〇だよね~!」って明るく楽しそうに話してくれるようになりました。
母が変わった!!

おそらく、私も変わった。
というか鬱が酷かった時と比べて本当に元気になったと実感しています。
6月に入ってからの気持ちの変化がすごい。
自分でも良くなってきたと思っています。
きっかけは、リタさんの個人セッションを受けたこととか、復職を決断したこととか色々あるとは思います。
少しづつ行動したこと、身体を休めることができ自分を責めることが減ったのも大きいかなと思います。
復職が決まったことを伝え普通に笑顔で話す私を見て、母は「安心した!」と嬉しそうに言ってくれました。
なんか、和解?できたかも・・・・。

子どものころの寂しさ(インナーチャイルド)は自分で癒せることも分かった。

学生時代の写真を見て自己受容ができた

実家に置いている私の中学高校時代の写真や大学時代~社会人のころの日記を読み返してみました。
仲良しの美容師さんに「過去の日記読み返してみたら?成長してるかどうか発見があるかもよ?」と言ってもらったのをきっかけに、自分の過去の写真や日記で振り返ってみようと思ったのです。

私は、幼少期は親に「可愛い。可愛い」と言われていたので、私は可愛いと思っていました。笑
でも、中学生に入ってから友達の「あの子ちゃんってさ、そんなに可愛くもないのに〇〇でむかつく」と陰口をたたかれていたのを聞いてしまい、
「あ、私って可愛くないんだ」と気付いてしまいました。
それなりにモテたんですよ?だから勘違いしてた。
それにね、私の中学時代は浜崎あゆみ全盛期だったのもあり、
二重信仰が物凄かった。私は一重だったのですね。
だからアイプチで奥二重にしたりして努力をしましたよ。笑
でも、改めてその頃の写真を見たら、「あれ、普通にかわいらしくない?」
目は一重だけど、全体的な鼻と口とあごのバランスまあまあよくね?

と、自画自賛!!!!!!!!!爆
その頃の自分を認めてあげることができたのです。
これぞ、自己受容!
なーんだ、「二重じゃないといけない」って思い込みだったんだ。
むしろ韓国ブームがきてる今は、一重もクールでかっこいいと思うのですよ。笑笑
美の基準は人それぞれ!

過去の日記から自分の考え方に自信が持てた

昔から日記を書くのが日課でした。
大学時代からの日記が残っているのですが、読み返しているとなんだか哲学的。笑
いろいろと深く考え始めたのが、大学生からでした。
私も沢山の失恋を経験してきてその都度日記に残していたのですが、

「君は自分を愛してくれない人を失ったにすぎない。しかし彼は自分を愛してくれる人を失ったのだ。君は何を苦しまねばばらないのか?本当につらいのは彼の方なのだ。」

哲学者の言葉

と誰かは不明ですが哲学者の言葉を日記に残していました。
最近失恋した私は、過去の日記に救われました。
親が勝手に読むので捨てようかと思ったのですが、なかなか深い考えをしていたことに気づき、そのまま残すことにしました。
そして当時の私はマザーテレサを崇拝していて、神様を信じていました。
(特定の宗教には入っていません)
今も同じように、目に見えない存在を信じるのはここからきているのかなと思います。

母のことが大好きだったことを思い出した

過去の写真や日記を読んでいて、母と仲良く腕を組んでいる写真が沢山あって、日記の中にも母を心配するようなことを書いていました。

私は母が大好きだったのだ。

大好きだったから悲しい顔を見たくなくて、なんとか役に立ちたくて、自分に我慢をさせすぎたせいで、母のことが大嫌いになってしまっていました。
記憶っていい思い出は忘れてしまって、嫌な思い出は記憶に残ってしまう。
とくに私は、嫌なことに視点がいってしまう。
たとえば8割私のことを好意的だと思っていたとしても、私を嫌いな2割のことばかり考えてしまうのです。

でも、過去を写真や日記で振り返ってみて、いい思い出も愛された思い出もあったことを思い出しました。

また少し一歩前進した気がします。


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