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スタニスラフ・ブーニンというピアニストを知っていますか?

私自身も遥か昔の思い出のかなたの人物だったのですが、この2週間でまたリアルな彼の今に沼ってしまいそうな感覚です。

NHKのスペシャル番組
https://www4.nhk.or.jp/P7990/

で、彼の現在の状況を放映したのがきっかけですが、病苦の末の復活に、感銘感激して、またまた聞き始めています。

最初の出会いは、1985年のショパン国際コンクールでの演奏。
クラシック好きな母が、このコンクールをテレビで見ていたある秋の夜。
私はというと、そんなに興味もないのでテレビの前を通り過ぎようとした瞬間、今まで聞いたことがないようなピアノの音色が聞こえてきました。

ハンマーが鍵盤をたたいている鋼鉄のような音。
それでも、ひとつひとつの音が、どれもこれも煌めくような美しさ。

思わず、テレビの前で演奏を最後まで聞き入ってしまいました。
それに、若い!ほぼ同年代じゃん、この人!!!

その日をきっかけに、CD発売日を待ちに待ち。発売されたら、ウォークマン(って懐かしすぎる)で、飽きもせず毎日毎日繰り返しきいて、「やっぱ、すごいや~」とつぶやく生活になりました。

で、とにかくそのコンクールは「ブーニンショック」というくらい、ショパンの曲のイメージや概念をくるっとひっくり返したので、ファンも激増した反面、批判もありました。

どうして、こんなに反響を呼んだのか?

美しい音粒、劇的な表現などなど評価はヨソサマにお任せして、私はそれまでの音楽全般の像をちゃぶ台返しのように変えたからじゃないかなと思います。
http://pianodouga.blog76.fc2.com/blog-entry-272.html

「作者(ショパン)が生きていたらこんな風に弾いただろう」
「作者は、こういう気持ちでここの部分を書いたのだろう」
という作者を理解して、それを再現するような表現から、敢えて言うなら作者中心音楽から

「この曲はこんな弾き方すると、見たこともない一面が現れる」
「この曲は、こんな表現にするともっと輝くんだ」
という曲表現中心主義を、ブーニン様が打ち立ててしまったんじゃないかなと思います。

そして、その世界は新鮮で、美しかった。

ルイサダ(ピアニスト)が言う様に「ショパンが墓の中でびっくりする」ような、しかしショパン自身もまた、ムズムズして聞きたくなるような、そんな世界観を描きだしたからじゃないかと思います。

世の中、新しいことだらけで、「新しい」という言葉を発した瞬間に陳腐化しているような今です。

そして、ブーニンが今、病を共にしながらピアノに向かっている。

それは、9歳の時初めてリサイタルで弾いたシューマンの小品集。
超技巧的でも、超絶技法でも、破壊音全開でもないけど、豊たかで温かみのある、ひとつひとつに温度のある色になっていることに、心が震えました。

その音は、他の誰もが、またAIも絶対にできない。

そんな、「人でなければできない演奏」を、近い将来日本で聴けるかもしれないことが、楽しみでならないです。

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