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愛のために夫婦別姓を選んだ

自分が当事者になるまで一切関心を持っていなかった選択的夫婦別姓の話題。
かれこれ30年前から議論が続けられ平行線を辿っていることを知った。

この調子では選択肢が増える未来はまだ遠い。

とはいえ、知らないことや新しいこと、みんなと違う考え方は、なかなか受け入れ難いのは仕方ないこと。

大昔に、天動説と地動説が闘った史実がそれを物語っている。

知らないことは、怖い。
安心して生きるために、怖いことは避けなければいけない。
おかしなことを言う人間は、遠ざける。
これは生存本能にもとづく自然な反応。

ならば、知ることから1歩が進むのだろう。
自分が夫婦別姓を選んだ理由をここに残しておく。

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① 家族史に愛着がある


私の名前は「秋田」
とても平凡な名前で、一般家庭で育った。
そんな平凡な家庭にも波乱と愛に満ちた家族史がある。

というのも戦後の混乱の中で生まれた父には、戸籍上の父がいない。
愛のもとに命を成したが、外国人との結婚が認められず祖母は未婚のまま父を産んだ。不憫な出生をした父は、子どもに罪はないと曾祖父母の計らいで曾祖父母の戸籍へ入れられた。
その後、祖母は日本人と結婚し、名前が変わった。

ゆえに父の異父兄弟姉妹たちとは名前が違う。

それでも父方の親戚たちはとても良くしてくれる。

名前や血の繋がりが異なっても、大事に思ってくれていることが、私のアイデンティティに繋がっている。

よい関係性を築くために必要なことは、名前や血の繋がり以外にあると。

そんな家族史に愛着がある。

周囲から認められずとも愛を優先し、反対を押しきって父を産んでくれた祖母。
父と良き関わりをしてくれる異父兄弟姉妹たち。

その家族史があるから自分が在ること。

仕事やプライベートにおいて自分の名前を名乗る度に、愛を感じるから、名前を大事にしたくなる。

② 夫婦であっても自分の人生を主体的に生きることを明確にする

学生のころは好きな人の名前になることへ憧れがあった。


しかし社会人となり心身・経済的な自立を得るにつれて、自分の名前で築き上げる人生が、好きな人の名前へ書き換えられることについて抵抗が生まれるようになった。

夫の名前で呼ばれることがあったが、どうしても借り物の人生に感じてしまう。

個人で仕事をするようになったのも大きな転機だ。

名前が個人事業と結びついた途端、自分の名前で食べていく覚悟が出来上がった。

③ 愛する人に名前を変えさせるのが苦しい


それは夫も同じだった。
個人事業を持っている夫は自分事として理解を寄せてくれて、自分が名前を変えることを本気で考えてくれた。

しかし私たちは個人事業を持っている夫婦。

名前と自分の仕事が公私に結びついている。

結果として、とんでもない手間と心理的な負担を、互いにではなく、どちらかへ負わせる形になることが分かった。

お互いに自分の名前を大事にしたいが夫婦になるためには、どちらかが、自分の名前を手放さないといけない。

これは果たして、平等な夫婦関係のスタートに相応しいのか。

いや、違うと。

④ 夫婦の形は自分たちで作りたい


だから間を取ることにした。
お互いの名前のまま夫婦になる選択的夫婦別姓だ。

互いの家族や友人たちからは幸い

「日本でもそのうち選べるようになるといいね、新しい道を開拓していくんだね」


そんな言葉をかけてもらえた。
本当に感謝している。

この先、子を授かることがあっても私たちは夫婦別姓のまま家族を築く覚悟がある。

それは、愛のある関係性を築くときに必要なことは、名前以外にもあることを知っているからだ。

もっとも身近な他人への
信頼、思いやり、尊敬、配慮。
生活に必要な経済力、課題解決力。
ほどよく手を抜くこと、等。

目に見えない本質の部分を大事な人たちと見出して、人生を作っていけたら愛のある豊かな道になると確信している。

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※個人的な意見であり、夫婦同姓の方を非難する意図は全くありません。同性カップル、異性カップル、夫婦別姓、夫婦同姓、すべてが尊重される世の中になることを切に願います🍀*゜

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