見出し画像

「コミューン」とは何か?について少し調べてみた


はじめに

年始にホールアースカタログの産みの親であるスチュワートブランドについて書かれた本を読み、5、60年代に興味が湧きました。

書籍の中でオススメされていた、1988年に出版され、現在は絶版のこの本が気になったのでGETし、読み進めています。

これが読みやすい&面白い!&途中、コミューンという章が目にとまりました。

というのも、スチュワートブランドにまつわる本を読んでいる中で、当時、日本においてもコミューンという言葉があったようですが、それは昨今の「コミュニティ」ブームと何が違うのか?という問いが浮かんでいたからです。

コミューンという言葉について

そもそも私にとってコミューンという言葉自体、聴き慣れなかったのですが、少し調べてみると、中島祥子氏の書かれた論文『アメリカ文化史におけるアプトン・シンクレアの 「ヘリコン・ホーム・コロニー」』に以下のような記載がありました。

ロバート・S・フォウガティによれば,アメリカには 1787年から 1860年の間に137 ヵ所の「コミューン」が,そして 1861 年から 1919 年の間には142 ヵ所の「コミューン」が建設されたという.また,筆者がこれまで調べ たところによれば,アメリカ最初の「コミューン」は,キリスト教プロテスタ ントで,16 世紀オランダの再洗礼派の流れを汲むメノー派(Mennonite)に よって 1663年にデラウェア州サセックス郡リューイス(Lewes, Sussex County, Delaware)に組織された「ズワーネンデイル」(Swanendael)1)であり,これを起源として現在に至るまで数え切れないほどの「コミューン」がアメリカ国内に組織されては消え,また組織され続けている.

→『アメリカ「60年代」への旅』には1971年時点で、約3000あったと書かれていました。すごい数!!(日本で1番のオンラインサロンプラットフォームであるDMMでは2023年12月のプレスリリースで1500サロン以上と記載されていました)

アメリカの作家で歴史家のフォスター・ストックウェルは,その著『1663 年から 1963 年までのアメリカのコミューン百科事典』で,「実験的共同体」 (experimental community),すなわち自然発生的な共同体に対して同じ志や思想を持つ人びとが自分たちの考えを形にすべく組織する共同体を「コミュー ン」と呼ぶようになったのは 1960 年以降のことだと述べている.

それまではさまざまな名称で呼ばれていた.1840 年以前では,「共産主義 者共同体」(communist settlements)とか「社会主義者共同体」(socialist settlement)と呼ばれ,1860 年頃までには「コミュニタリアン」(communitarian)に変わり,1920 年頃に「目的共同体」(intentional community)という 名称が使われるようになった.これらが 1960 年以降,「コミューン」という 名称にまとめられたのだ. 他にも,「協同組合集合住宅」(cooperative),「類縁団体」(affinity group), 「拡大家族」(expanded family),「ユートピア的実験共同体」(utopian experiment),「集産主義的共同体」(collective),「村,(芸術家などの)集団居住地」 (colony)などの表現も併用されている.

以前使われていた用語の1つ「セツルメント」は、思い出してみれば大学のサークルにあったなぁとか、ここ数年で知り合ったソーシャルヒッピーな人は海外では「インテンショナルコミュニティ」という言葉が使われていると聞いたなぁ、とか、コレクティブは、コレクティブハウスとして聴いたことあるなぁと思ったのでした。

コミューン活動の背景

今回読んだ書籍、論文から何が人をコミューン活動に向かわせるのか?について引用しました。

『アメリカ「60年代」への旅』からの引用

コミューン活動にはまず、核家族と高度管理社会の乖離に苛立ち双方から離脱、両者の中間地点に非血縁的拡大家族をつくろうとする衝動が目立つ。

→前後を読んでも、核家族と高度管理社会の乖離とはどういうことなのか?が分からず。。。ただ、高度管理社会とは重要キーワードのようで本の中でも何回か出ていましたが、それ自体が何なのか?は、直接的には分からず。別途調べてみたところ、

「東西対立の冷戦」「マッカーシーによる魔女がりなどのため国民がthe silent generationとなった時代」「戦後の経済的繁栄で豊かな生活を享受するようにはなったものの、戦後の国際政治や高度に管理された産業主義社会が持つ、個人を圧しつぶすような巨大な力や機構を前にして、人びとは自我の喪失感を覚えるように」

(伊藤貞基氏の退任最終講義「第二次世界大戦以降の アメリカ小説の動向」の資料から引用)

と書かれているものがありました。このあたりを指しているのかなと。

血縁への嫌悪は、巨視的には一夫一婦制の欺瞞性忌避の他に、アングロ・サクスンなど多数は民族集団による少数派民族集団支配が血縁を核としていた差別的な歴史への拒絶反応が背景にある。カウンターカルチャー全体と同じく、コミューンも圧倒的に白人主体だったが、この血縁忌避は多民族社会への無意識な過剰訓練と見ることもできよう。

血縁への嫌悪とは、下で引用している『「プライヴァシーの温床」となって参加者同士の一体化を侵食する』が動機なのでしょう。言い換えれば、参加者同士の一体化を実現したいという想いがそれだけ強いということ。人に一体化を求めさせたのが、当時の時代背景を象徴するキーワードっぽい「高度管理社会」なのだと思いますが、そのあたりがまだまだ分かってないですね。

中島祥子氏の書かれた論文『アメリカ文化史におけるアプトン・シンクレアの 「ヘリコン・ホーム・コロニー」』からの引用

歴史的に見ると,特に 1830年から 60 年と,1960年代から 70 年代の 2 つの時代には,アメリカで「コミューン」の建設が活発化している.いずれの 時代も,新しい宗教の誕生をはじめ,女権拡張や女性解放運動,人種差別問 題,あるいは産業・工業の発展による物質主義の先行を懸念する動きなど,社会的な変化が起きている.

『参加と共同体』においてキャンターは,1960 年代に目立ったドロップアウト的人間,つまり競争を避ける人たちが寄る「隠遁型コ ミューン」(retreat communes)7)や,個人主義が際限なく発達したアメリカ社会のなかで共同生活にあこがれを抱く人たちが集まる「奉仕型コミューン」 (service communes)8)が登場したことをあげている.                              

アメリカ文化史におけるアプトン・シンクレアの 「ヘリコン・ホーム・コロニー」
中島祥子より引用

競争を避ける人、特に都市部において共同生活にあこがれを抱く人というのは昨今の日本の都心部にも見られますし、コミュニティ熱に背景にもなっているように思えます。

コミューンの基礎とは?

「コミューン」の基礎となるのは,人間にとって重要なのは完璧・完全とは思えない社会に生じる対立や競争,あるいは搾取ではなく,調和,協力,利益の共有だという考え方である.したがって争いの原因となるような競争や,特定の個人だけの利益になるような行動が起こらないようにし,互いに責任と信頼が持てるようにする.そして私的所有という考え方は否定され,すべてが参加者によって共有されることになる.これは,後述するが,人間関係について も,また子育てにもあてはまることである.

同じ理想を抱く人びとが集まって構成される「コミューン」では,外部の人 間や政治集団によってではなく,参加者全員の意向で運営・管理がなされていく.あるいは「コミューン」が宗教的なものである場合,その指導者的立場にいる人間によって方向付けされる.

「コミューン」は外部との物理的な境界を明確に持ち,生活に必要な機能を ひとつの建物,もしくは敷地内に集中させる.そして経済的,政治的,社会的活動および家庭生活はすべて共同体内で行われる.経済的活動については,歴史的には教区の利益のために活動する修道院や,株主の利益を生み出すことを目的とする会社とは異なり,参加者のことが第一に考えられるのだ.

→この箇所は昨今のコミュニティブームとは異なると思える。インターネットが生まれてからオンラインコミュニティと呼ばれる場所が生まれ、コミュニティが物理空間から切り離されたことが、この頃の「コミューン」との違いなのだろうなぁ。インターネットという要素があるから異なる部分、あってもなくても変わらない部分など整理できても面白そう。

「コミューン」を維持していく上では,外部の人間との関係よりも,参加者 同士の関係性がきわめて重要視され,参加者同士の結束を維持することが不可欠である.参加者内で不和が生じれば,「コミューン」の崩壊に繋がりかねないからだ.

一般的に「コミューン」は「血縁性」(blood relationship)と「一 夫一婦制」(monogamy)とを嫌うところがある.なぜならそのいずれも,「プライヴァシーの温床」となって参加者同士の一体化を侵食するからである.「一夫一婦制」は性に対する罪悪視,男女差別,子どもの独占扶養を生み出す. 子どもの独占扶養は,子どもを中心とする親同志の競争心をかき立てるだけでなく,出世主義を生じさせてしまうことになる.したがって「一夫一婦制」ではなく「フリーラブ」(free love)の形態を取ることになり,子育ては共同で 行われる.

→この「プライヴァシーの温床」という捉え方が興味深いなぁ。

さいごに

今回は触れられませんでしたが、コミューンの持続や崩壊、日本におけるコミューン?部族?といった関連テーマもアウトプットすることで学びたいテーマだなぁと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?