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ビート文学、カウンターカルチャーに興味が湧いてきた。

年始早々から書籍『ホールアースの革命家 スチュアート・ブランドの数奇な人生』を読んでいました。

こちらは、スティーブジョブスがスタンフォードで行った伝説の講演会の最後の言葉である「Stay hungry, stay foolish」の引用元であり、1960〜70年代のヒッピーカルチャーに多大なる影響を及ぼした「Whole Earth Catalogue(ホールアースカタログ)」の産みの親であるスチュアート・ブランド本人に綿密な取材のもと書かれたものです。

数年前に『Wired』誌の創刊編集長だったケヴィンケリー氏のことを知ってから「ホールアースカタログ」の存在を知ったのですが、とりたてて調べてみようとは思いませんでした。

ですが、今回ちょうど12月に「ホールアースカタログ」生みの親であるスチュアート・ブランド氏の評伝が出ることを知り、その分厚さに怯むものの、いっちょ読んでみるか!と手に取ってみたのです。

ほぼ読み終わりそうなのですが、今感じていること・やってみたいと思ったことがあります。

私は約13年前に1960、70年代のアメリカで起こったヒッピーのムーブメントを実際に体験してきた方(Oさん)がオーナーをされいてる農場で3ヶ月ほど生活をさせていただき、家族のような距離感でお世話になっていた時期があったと書きました。

Oさんは生き様で教えるような方で、ご自身の過去の経験を自らどんどん話される人ではありませんでした。また、私自身にいわばカウンターカルチャーにまつわるボキャブラリーが全くなかったために、好奇心旺盛だった私でも当時はその側面の話を聴きたいという欲求すらありませんでした。

今回、この本を読み進め、丁寧に1950年代〜が描かれていることから、そういえば当時、話の中でアメリカの話になった時には著名らしい人の名前もチラホラ出ていたなぁ、あれは誰だったんだろうか、という問いが浮かび、その人自身は英語圏でのキャリアがほとんどのため英語で検索をかけてみたわけです。

すると、出てきた記事の中でまさに今回の本に出てきて、1950、60、70年代への潮流をつくってきた側の人と言えるであろう、詩人・活動家のアレン・ギンズバーグや心理学者のティモシー・リアリーとOさんが接した言及があったり(一度会っただけというレベルだったのかもしれません)、サンフランシスコ禅センターのリチャード・ベイカー老師とは弟子であり友だちと呼べる存在だと老師本人の言葉が残っていたりと、Oさんがブランドが触れていた空気感に同じように触れていたことを伺い知ることができました。

私自身、Oさんのもとで滞在させていただき、色んな経験をする中で(当たり前ですがサイケデリックな体験などはありませんw)、その後の人生の揺るがぬ指針となった気づきを得ることができたこともあり、

Oさんの英語の記事をもっと読み漁ったり、当時の空気感についてもっと深く知ることから自身の今後についてを描くヒントが得られるかもしれない、と思ったのです。

また、当時、日本においてもコミューンという言葉があったようですが、それは昨今の「コミュニティ」ブームと何が違うのか?もちろんネットがある、ないはありますが、といったその歴史から学べることがあるのかもしれないなぁ、なんてゆるーく思っていたりします。

振り返ってみると、当時69歳だったOさんは、世界中にファンがいる画家として活躍されていながらも、ご本人が言っていたような気がしますが、ヒッピー的な方だと言えそう。

その後、私は日本に戻ってからこれまで、携帯の電波が通じないところで電気も自給自足したり、活動家もされていたご夫婦や、そこまでではないにしても田舎の一軒家に住んでいる元旅人といったハッピーなお兄さん、もっとビジネスシーンと関わっているソーシャルなヒッピーの方々だったり、人数としては多くはありませんが、ヒッピー的な方々とお話しする機会があったことをこの記事を書きながら思い出しています。

今思うと、それらの方々から何を感じたのか?受け取ったのか?といったことを振り返ったことはなかったなぁと気づいたので、そちらについても取り組んでみたいと思います。

本を読むのは好きですが、そこから触発されて浮かんだアイデアを実行する、というのも想定外につながる好きな取り組みだなぁ〜♪


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