ビジネスパーソンのための「肚・丹田」についての「学びと実践」の軌跡シリーズ〜その1〜
はじめに
昨日で全3回のオンラインプログラムが終了しました。どんな内容かというと、「肚の叡智」を学ぶというもの。
こちらです。
いや、そんな突然「肚」と言われましても・・・。
という声が聴こえてきそうなので補足をしますと、肚は、「はら」と呼びます。
腹と読みは同じですが、腹が胃のあたりを指すのに対して肚は、特定の部位だけではなくその周辺も含んだ範囲のことを指しているイメージを持っています。
また、肚は丹田とイコールとも言われています。ここで、私が過去に教わった丹田とは何かについてご紹介します。
肚・丹田という概念は東洋ならではということですね。そんな肚について今回、なぜ学んでみようと思ったのかというと・・・いつものごとく、直感です。笑。理由は後から分かってくるスタイルです。なぜなら、自身が本当に進みたい方向は頭ではなく身体が分かっているというスタンスだからですね。
また、他の人へのオススメという観点でいうと昨今注目されている「アート・シンキング」は、身体感覚から始まると思っているので、アート・シンキングしたい人は身体性へのアプローチは必須だと思っています。
この記事では何回かに分けてプログラムを受けて学んだこと・気づいたことを書いていきたいと思います。(感想はいずれも、講座を受けた直後のものです)
第1回目の内容まとめ
以下は事務局の方がまとめてくれたメモです。
【感想】自律神経系のサイクルについて
自律神経系のサイクルとして以下のプロセスを学びました。
寝る直前には、携帯を見ない方がいい(交感神経が優位になってしまうため)・ぬるめのお風呂に入ったり、最低でもシャワーを浴びた方がいい(切り替えになるため)といったことを知っており、実践していましたが上記のサイクルとして教わることによって、一連の流れとして学ぶことができました。これからより意識していきたいと思います。
【感想】農業・農民と精神性
講師の贄川さんが、日本人を感じるための選択肢として、武道や茶道などの道がつくものではなく、江戸時代の日本の8割を占めていたといわれる農民の行なっていた農業を選んだというのが興味深かったです。(贄川さんは現在、新潟の地方にも拠点を持ち、田植えなども行なっています)
私は気づいていませんでしたが、武道や茶道などは当時のエリート層だからこそできていたことだったのですね。(考えてみれば当たり前)
これらの道を求めている人たちはすごい!と思っていましたが、それが無意識にこの人たちだけがすごく教養があり、博識である一方、農家の方たちは素朴で無知、という勝手な区分けをしていたんじゃないか?という内省が生まれました。
百姓という言葉があるように、彼らは生活におけるあらゆることを身につけていて、それは武士でいう武芸百般に等しいでしょう。
落合陽一氏は書籍「日本再興戦略」の中で、現代版百姓の重要性を語っていました。多くの人が副業をする機運が高まっている昨今において、道のつくものではなく、農家・農業と精神性というテーマはすごく興味深いかつ、日本の多くの人が取り組みやすいヒントがあるかもしれない。そんなことを感じました。(そう感じるのは、私の先祖が父方・母方問わず農家だったからかもしれません)
【感想】日本が近代化していく中で失ったものとは
江戸→明治、戦前→戦後という節目で日本人が大地/身体性から離れてきたという話は考えさせられるものがありました。「西洋式は、生活様式が大地から離れる」言われてみれば確かに!と思いますが、これまで全く気づいていませんでした。
母方の実家が農家であり、母屋は茅葺き屋根、ボットン便所や土間があったことを思い出します。土の匂い、茅葺の匂い、トイレの匂い(笑)、馬など動物の匂い等々、嗅覚を使う機会が多かったです。今私が住んでいる街中で匂いを感じるシーンはどのくらいあるでしょうか。雨が降った後、あるいは神社の境内や、花に近づいたときくらいでしょうか。
また、ハワイ島のオーガニックファームで過ごしていた時のこと。長らく土の上で過ごした後で、コンクリート道路で歩いていました。この時に土の柔らかさ、私からだけではなく、地面からも働きかけてくれるような感覚を感じていたことに逆説的に気づかされたのです。
でも、普段からコンクリートの上だけで生活していると気づくことができません。つまり、都市に住んでいるだけでは私たちが地球、自然の中に住んでいるという実感を感じることが極めて難しいのでしょう。
むしろ、コンクリートジャングルの中にわずかに緑が浮かんでいる。そんな比率で捉えている人も多いのではないでしょうか。本当は逆なのに。そして、そうでなければ私たち人間は決して生きられないのに。
しかしながら皮肉なのは、私たちは実際に味わってみるまではその価値に気づくことができないということですね。こういう私も、ご縁あってそういう環境に飛び込ませてもらったことで得られた感覚でした。(そう考えると、私はもっと受け取ったものを人に分かち合うことをした方がいいですね 汗)
日本刀は、肚がしっかりできていないと振れないそうです。昔の日本人の方々は農業を通じて、道ゴトを通じて、肚・体幹を鍛えていました。それが、欧米列強を恐れさせる日本の強さの土台となっていたのではないでしょうか。
現代日本において、肚を磨くことは必要不可欠ではないでしょう。ある意味、そんな意識がなくても日常生活は成立するので困らないですよね。
伝統的な道ゴトは、誰しもにはハードルが高いように思えます。都会・ビジネスシーンにおいて取り組みやすい形で行うにはどういうものがいいのでしょうか。
伝統というと、何かしら正しさを感じて、萎縮する感がありますが、現代人は忙しいし、正しさ(というか、仕事の中での義務)にたくさん触れているので、これ以上正しさを受け入れる余白がない気がしています。
だからこそ大切なことは、捨てることや楽しさではないかな。そういう方面から可能性を考えてみたいな、そんなことを思いました。
【感想】体感ワークをやって絵を書きました。
プログラムは、講義だけではなく体感ワークもあります。
直立し目を閉じた上で、呼吸に始まり、身体の各部位に1つずつ丁寧に意識を向けていく。その上で、身体に対して得たイメージをスケッチブックにクレヨンで描いていく。
そんなプロセスを経て生まれたのがこんな絵でした。
「頭と胸と肚と大きく分けたときに普段自分が身体のどこに意識が向きがちなのか」を知覚するワークだそうですが、私の場合は、自分の身体として強く実感があったのは
(1)胸の横隔膜より上の部分と、肩甲骨から腕全体にかけて。手が一番実感が強い。
(2)骨盤より下にかけて。地面と足が接している部分が一番実感が強い
という感じでした。
面白いと思ったのは、胸の横隔膜から下、腹、そして骨盤までのあたりにかけては外界との境界線がない感じがしました。
大げさなことを言えば、そのあたりが宇宙のようなイメージがし、むしろ、その中に(1)と(2)が浮かんでいるという方が適切かもしれない。
そんなイメージを絵にしました。(言うて、足裏は大地にくっついているのですが)
さいごに
今回、直感で参加することを決めたのですが、参加してから他の参加者の方と対話することを通じて肚による入力以上に、肚からの出力について、そのイメージや質感を高めたいという動機が浮かび上がってきました。
この得たい結果は全3回を経てどうなったのか。それはまた別途書きたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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