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【いつかは別れる。でもそれは今日ではない/F】



「いつか別れる。でもそれは今日ではない/F」



この本を一番最初に読んだ時、

特に心に留まった一節が、

〝十年後も関わり合っていたいと思えないようなものに、明日も明後日も関わる必要なんてない。〟

でした。


・・・あ、これ。

うっかりしてると忘れがちだな。


改めてここに書くことで、

強く心に刻むことにする・・・!!




自分を大切にすることを忘れている人が多すぎる


まず、

この本の中から、

私がとても大切だなあと思った部分を

ご紹介しますね。




 十年後も関わり合っていたいと思えないようなものに、明日も明後日も関わる必要なんてない。私はこんな努力や我慢なんてちっとも美しくないと思う。

 頑張らずに続けられる。それだけが正しいと思う。頑張らなくても続けられることだけを淡々と続け、だから、いつも余裕で、上機嫌で暮らしている人。そんな人の方がいつも不機嫌な人より、よほど美しい。それが才能というものでもある気がする。頑張った話も辛かった話も、どうでもいい。昔は今と違って辛くて大変だったらしい苦労話なんて尚のこと、どうでもいい。

 楽に生きて、長生きする。必要なのはそれだけだ。

 最悪な環境から逃げると決めた時は、最高速度で逃げるべきだと思う。

 逃げるべき方角は、楽しいもの、愛おしい人、得意なこと。あるいは、その全部。いつも選んでいた方角とは正反対の方角である。

 そうして好きな人と話して、好きなものを食べ、好きな音楽を聴く。好きなことをする。好きなだけ眠る。たまに無駄遣いもする。時間が余ったら、お部屋もちょっと綺麗にする。一日に一回か二回は適当な嘘も吐く。そんな風にして生きている自分をそのまま好きになってくれた人に出会ったら、大切にする。大切にし続ける。

 それこそが自分を大切にする方法だと思う。壊れずに、かといってなにかを切り捨てて無神経に生きることはない。ちゃんと繊細に生き続けるのだ。

「いつか別れる。でもそれは今日ではない/F」

「自分を大切にする」

よく聞くフレーズだけれど、

それができていない人もまた

世の中にはたくさんいるので、

このフレーズがいつまで経っても消えないのは

そういうことなんだろうな。




自分を大切にするって、どういうことを言うのだろう?


この類の問いは、

手を替え品を替え、

これまで何度も私の前に現れてきました。


目の前で起きる想定外の出来事が示す、

自分の価値観とのズレ。


それは、自分の価値観を無視した状態で

そこに留まり続けているからこそ

何度も繰り返してしまう現象だったのに、

自分以外のどこかにその原因を探し続けたことで

ずいぶんと遠回りをしてしまいました。



・違和感を覚えるもの



・「昔からそうだった」というだけで
 その行為には根拠のないもの


・なぜかいつも気が進まないこと




こんな、現実には

〝ちょっとした段差〟

くらいの感覚で捉えていた出来事が

実は、

前進を阻む根本原因だったりする・・・。



「本当にこのままでいいの?」

と、自らに問いかけていたら

川岸近くの渦のように

同じところでグルグルしていることはなかったのかも。




違和感はギアチェンのサイン


著者は言います。


・十年後も関わり合っていたいと思えないようなものに、明日も明後日も関わる必要なんてない。

・最悪な環境から逃げると決めた時は、最高速度で逃げるべきだと思う。

・逃げるべき方角は、楽しいもの、愛おしい人、得意なこと。あるいは、その全部。

「いつか別れる。でもそれは今日ではない/F」



頑張らなくても続けられること

を続け、

違和感を覚えることにぶつかったら、

それを我慢し続ける必要はない。



違和感こそが道しるべ

と捉えていいってことだね?

「こっちじゃないんじゃない?」

という自分からのサイン。



仕事でも。


人間関係でも。


永く続いた慣習でも。


時には自分にとっての習慣でさえも・・・。



違和感を、無かったことにしない。



これを少しずつ丁寧に繰り返していくことで、

私の川は

望む未来に流れていくんだろうな、と思いました。




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