「この目で見てみたい!!」を叶えるためだけに飛んだ日
今日は、noteの公式のお題?に沿って、書いてみようと思います。
この日の出来事のおかげで、私は、マガジンにあるような〝自分の城〟を探すことにも目覚めたんだと思うから・・・。
人生の操縦席に座っているのは、誰?
その日の気分を決めるもの
あなたのその日一日の気分を決めるものは何?
「あ〜、今日は午前中から会議か・・・!気が重いな〜・・・二度寝もやむなし!」
「あ〜、明日はようやく休みだ!!思いっきり寝坊するぞー!!」
数年前の私。
自分のスケジュール、その日味わう気分を決めていたのは、自分以外の何か、だった。季節の行事、といってはそれに伴うイレギュラーな打ち合わせが入ったり、夜間、休日の時間も仕事に合わせてガタガタ。週末は、そのストレスを埋めるかのように、真夜中まで意味もなくダラダラと起きていたり、階下の家族が〝NHKのど自慢〟を見始める頃まで寝ていたり。
自分で好き勝手に過ごしているように見えるでしょ?
でも、実はこの時間ですら、自分以外の何かに、自分の気分のハンドルを開け渡していたことになる。だって、自分がしたいことではなく、まずは「したくないこと」ありきで気分が決まり、反動でその穴埋めをするかのような、半ば投げやりな気分でいたずらに時間を浪費していたのだから・・・。
自分の「好き」がわからない・・・
たいがいのことは自分の意志で決めてきたように錯覚してきた人生の半分以上の時間。後半戦に入った今は、「私、何がしたい?」「どう感じている?」を丁寧にヒアリングしてあげないと、自分の「好き」すらわからなかったことに危機感を覚え、その矯正をする日々。
それはなぜか?
とにかく親の顔色と空気を勝手に読んでいた
細かな背景はここでは端折るけれど、何かと判断を迫られる場面でちらつくのが親(特に母親)の顔。
「反対されたらどうしよう」
「変だって言われるんじゃないか」
「きっとダメって言われるに違いない・・・」
何かにつけて、親の意思に反すること=実現できないもの、という方程式に沿って、人生の選択を決断してきたような気がする・・・。反対されそうなことは初めからプレゼンすらしないし、異議を唱えられそうなことは隠す。親が根負けするほどに自我を通していた妹のような根性は、自分にはないと思っていて、波風立てないよう、困った時は「どっちでもいい」を切り札に余計な争いは起こさないように暮らしてきた感覚が、嫁いで家を出てもなお抜けきらず、結果、〝その場の誰かの機嫌を損ねない選択〟を心がけているうちに、自分の価値観と親の価値観の境界線が、実に曖昧になってしまっていた。
太陽の塔。実物がびっくりするほど大きいらしい!
人生の5分の4ほど、〝ただただお利口ちゃんな言うこと聞き〟になっていたわけではなく、私なりに小さな反抗心は常にあった。しかし、それを表面に出さないよう、ヘタレな行動ばかりしてきた気がする。
そんなある日。
お客様との会話で、
「(大阪万博公園にある)太陽の塔が、ものすごく大きかった!!怖いくらいに大きかった!!」
という話を聞いた。
【自分の中に毒を持て】に憧れを持ち、自分の中の炎を燃やし続けて生きた岡本太郎が大好きだったが、太陽の塔を肉眼で愛でる、などという発想は一ミリもなかった私の中に、ポッと小さな火が生まれたのはこの瞬間だったかもしれない。
それから時間が経ってからなのか、間もなくだったのかは定かではないが、仕事の研修で上京した際、チャンス!!とばかりその勢いで宿泊先のホテルから翌日の飛行機を予約し、羽田から飛んだ。
この目で「太陽の塔」を見てみるために・・・
この研修。
東京都内の会場で、本来は二泊三日の日程だった。しかしヘタレなりにも自由時間が欲しかった私は、家族には研修の日程を一日長く伝えていて、内緒で遊んでくるつもりだった。しかし架空の研修三泊目の夜、自分でも思いもよらないひらめきが降りてきたのだ。夜のビジネスホテルの一室で突然思い立ち、翌日一日を大阪行きに充てたのだ。
伊丹空港に降り立ち、モノレールでたどり着いた最寄駅を出て「この辺からもう見えるはずなのにな・・・」と何気に見た時、思いがけず見渡したビルにパズルのように映り込む、目的のあいつ・・・。
恐る恐る背後を振り返ると・・・
とにかく暑い日だったけれど、眼下の芝生の緑と青空を貫くようににそびえ立つ迫力に、その日買った日傘をさしながらしばらく動けなかった。
結局この日は、「大阪と言ったらたこ焼きなんだから!」と万博公園でたこ焼きとスーパードライをいただきながら、太陽の塔をこの目に焼き付けしばし感激に浸った後、急遽購入したガイドブックにあった「お好み焼きが美味しいお店」に電車で行き、帰りの飛行機ギリギリだからとテイクアウトをお願いし、ソースの匂いをぷんぷんさせながら空港へ急ぎ、「このまま搭乗するわけにはいかない」と待合席で急いで食べ、飛行機に飛び乗って、何食わぬ顔で羽田を経由して秋田空港へと降り立ったのだった。
この日から、私の中の何かが弾けた
この突発的な冒険旅行(日帰りだったけど)をするまでは、
▶️遠出をするなら家族と一緒に
という、誰に決められたわけでもない実家にいる頃から、そして嫁いでからもなお自分の中にあったルールを破ったことはなかった。
そして、「仕事の時だけは例外」というこれまた謎のルールがあったことで、時々息抜きをするかのように仕事の研修を旅行のように見立て、母でも妻でも嫁でもない自分になった時間をささやかながら楽しむことが、最大の冒険だった私にとって、正真正銘の冒険として更新されたのだ。
・自分一人のために飛行機に乗って出かけるなんて
・飛行機のチケットを思いつきで、しかも定価で買うなんて
・日帰りで大阪に行くなんて
・その他の観光名所を一切見ないで太陽の塔だけ見るなんて
どれも、それまでの私にとっては「もったいない」カテゴリに入っていたものだ。
それまでは、「お金も、時間も、遊びの目的も、その一回になるべく多くの要素を詰め込んで、帰ったらぐったり疲れるほど満喫し倒さなければもったいないじゃない!」という人だった。
しかもこの時、自分一人で楽しんできたなんて家族に都合が悪いから、そんな旅行をした気配なんて微塵も見せずに、しれっと「研修、疲れた〜」なんて帰宅したのだ。もちろんお土産は羽田で買った笑。
多面体の中の一人に、出会えた
太陽の塔に会ったこの日。
私自身の中ではこれまでタブーとされていたことが、カチャリと小さな音を立てて壊れ、自分が自分を楽しませることだけに時間とお金を使うことの醍醐味を知ってしまった。新しく知った、というより、見えていなかった自分の本来の姿の一部を、見つけてしまった、という感覚。人は多面体だと言うけれど、そんな感覚を持てる自分に出会えたことも、思いがけない発見だった。
飛行機に一人で乗るなんて。
過去の、「もったいない」で自分の望みに蓋をしまくって、本来何を望んでいるのかさえよくわからなかった私が少し小さくなって、自分の「好き」の気持ちに忠実に「自分の時間の采配は、他の誰でもない私が決めていいのだ」という私が、私の人生の操縦席に座った瞬間だった。
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