ミニバスコーチ

 続きです。

 前回はミニバス(小学生のバスケ)のコーチの話を引き受けるところまで振り返ってきました。

 前回はこちら

ミニバスコーチデビュー、そして連戦連敗 

 特に深く考えずとりあえず的な感じでコーチに就任したわけですが、私自身がミニバスを経験したことがなかったので、小学生の練習内容やレベル感が全く未知の状態でのスタート。

 しかも、です。

 当時所属していた選手の中で6年生は0人。男女ともに5年生だけのチームでした。しかも、はじめたばかりということで、ほぼ全員が初心者。

 2020年の今であればネットで調べればいろいろと情報が探し出せますが、私がコーチになたのは2001年。やっと携帯がカラーになったとかそんな時代です。ネット環境が家にあったかどうか記憶にありませんが、ネット環境があったとしても情報を発信する人が今に比べて圧倒的に少ない時代だったので、たいした情報は調べられなかったでしょう。

 いろいろ不安材料が多い状況での船出でした。

 ということで、6年生になるまでに私が取り組んだのが「バスケを楽しむこと」でした。

 楽しむためには何が必要かを教え、それを練習に落とし込む、そんなところから手をつけました。

 そして練習ではポジションを固定しない(試合ではある程度固定していました)。全員全部のポジションを練習する。これは中学生以降急激に身長が伸びるケースもあるので、ポジションを固定したくなったという事と、他のポジションの動きを知る事でスペーシングの理解度やレシーバーの動きの理解度をあげたかったからです。

 練習時間は週に2回2時間でしたが、1時間はゲームをやっていました。

 5年生のチームで6年生を相手するので、練習試合、公式戦ともに連戦連敗。下手するとまったく点数が取れないなんて試合もありました。

 まあ妥当な結果ですよね。

 選手たちにも5年生の間は勝てないけど6年生になったら勝てるようになるから大丈だよと言って聞かせていた記憶があります。 

 とは言っても、負けるのは個人的には悔しかったですけどね(たぶん選手も)。

トレーナーを目指す

 さて、選手たちが6年生になる少し前。私の中であらたな想いが生まれます。

 それは、「スポーツ関係の仕事で食べていきたい」という事です。

 きっかけは選手たちの成長を目の当たりにしたこと。「これって面白い」と思ったことです。自分の力量で人が成長することを面白く感じたのです。

 スポーツ関係というと色々選択肢がありそうですが、当時は選手か監督のほぼ2択でした。

 仮にバスケットボール選手で食べていくと考えた場合、当時はプロがなかったので実業団に入るしか方法はありません。実業団に入るには大学でかなり活躍しないと不可能です。大学でプレーしていなかった私には不可能でした。社会人チームでやっていたとはいえ、そもそもそんなレベルの選手ではありませんでした。

 監督はプレーヤーとして輝かしい成績を残すか、学校の教員になって部活の顧問になるかしか思い浮かびませんでしたから、これも不可。

 なんとかならない方色々調べた結果、トレーナーという職業があることをしり、大学を辞めてトレーナーを目指すことになったのです。

 ちなみにこの時はトレーナーがいったいどんなことをしているかは詳しく知りませんでした。 

 大学を辞めた後、1年間フリーターをやって専門学校に入学しなおしましたが、この話はまたこの先詳しく書いていきます。

6年生は連戦連勝

 話を戻して。

 6年生になり、はじめての練習試合。

 完勝でした。相手チームを0点に抑えることができたかと思います。こちらは何点とったとかは全く記憶にありませんが、全試合男女ともに完封した記憶があります。

 公式戦も完封ではありませんが勝つことができました。

 流石に全戦全勝とはいかなかったですが、通算でみたら勝ち越して卒業を迎えることができたと思います。

つづく

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