人生初の差別から学ぶ、自分を豊かにする方法。
2015年の夏、私が18歳の時、カナダに1年間留学をした。きっかけは、ただ英語と洋楽がすきだから。昔から自分は単純なのだ。
日本を離れる時が来た。
どんな世界が待っているのだろう?と、不安など一切なく、むしろ好奇心で満ち溢れていた。約12時間の飛行を終えバンク-バ-国際空港に着いたとき、ホストマザーとホストブラザーが、''welcome!''と書かれた大きな紙と愛のこもったハグで私を迎えてくれた。
ああ、きてよかった。
空港に着いて早々、そのときはなにが起こるかわからない未来のことは考えずに目先の幸せだけにただ、ただ感動していた。
ハグだなんて日本の文化にはないなぁと、少しドキドキしていたらホストファミリーの家に着いた。家の中に入ると、もう1人韓国から来た10歳の男の子がいた。無口でありながらもきちんと挨拶をしてくれた。
次の日目が覚めて、私のカナダライフは2週間のプログラムから始まった。これは、授業が本格的に始まる前にカナダのことを知ろうということで色々な観光地に行くのだ。そこで日本人とドイツ人のグループがバスで一緒になった。最初の数日間はなにもなくとても楽しかった。
差別の始まり。
プログラムも4日目を迎えたとき、グループに分かれて参加するゲ-ムをした。すると、ある1人のドイツ人の男の子が、「もちろんグループはヨ-ロッパとアジアに分けるよね?」と、とても嫌な顔をして日本人の私たちに伝えてきた。普通に伝えてくれるならわかる。しかし彼はとても嫌味そうに伝えてきたのだ。その場にいた人達にしかわからない重い空気が一瞬流れた。ゲ-ムが終わり、バスに戻っても後ろでクスクス笑っている声がたまに聞こえる。
なんだこの感情は?
私はその時人生で経験したことのない感情に襲われた。私たちが一体彼らになにをしたというのだ?アジア人でなにが悪い?見た目が違くてなにが悪い?それはまるで、怒りと悲しみと悔しさが一緒に混ざったような、泣きたいのか怒りたいのかもわからない、自分の存在そのものを拒否されたような感覚だ。その日が台無しになってしまった。カナダにきてまだ1週間も経っていないのに大丈夫なのか?と自分を問い詰めもした。
その時からか、少しずつ自分に余裕がなくなった。数日前まで小さなことにすらワクワクしていた自分が馬鹿みたいだ。
その時、そんな私を見兼ねたホストマザーがドライブに連れて行ってくれた。自分でも気分転換をする感覚で彼女について行った。まだ行ったことのない道路をぼ-っと眺めていると、ホストマザーがいきなり車を止め、私の目をまっすぐ見つめ、思っていること全て吐き出しなさいと言ってくれた。
心境を説明し終えた後、ホストマザ-が泣いて強いハグをしてくれたのだ。それに加えて、「親御さんもあなたがこの気持ちのままカナダで苦しんでる姿見たくないと思うの。だから楽しいことを考えよう。」と、いってくれた。
涙が溢れでた。
自分でも驚いたほどに、私は子供のように泣いていたのだ。そしてここまで考えすぎていた自分に驚いた。そしてそこで学んだことがある。
1人じゃない。と、いうこと。
今まで1人で考え込んでいた私は誰かに相談するという思考になっていなかったのだ。
ドライブを終えた私はとてもスッキリして、どうして今まで自分で自分を苦しめていたのかと後悔した。しかし、あの事があったからこそ今の自分があるのだ。そして私は他人に差別など絶対しないと強く誓ったし、ホストマザーみたいに私の味方でいてくれる存在のありがたさを学んだ。そして、自分は自分で良いのだと心に余裕が戻ってきた。
最後に伝えたい。
人は本当の自分を知ってからが強いのだ。だって誰もその人のことを惑わすことはもうできないから。どれだけ悩むことがあったって自分の立て直し方を知っている。
そしていつしか、それが自分自身のゆたかさに変わるのだ。
その意味を教えてくれたホストマザー。
こんなに素敵な経験をさせてくれた日本のお父さん、お母さん。
本当にありがとう。
いつか感謝の言葉を伝えにカナダに戻ろう。
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