相手が聞かれたくないことに触れる怖さ
こんにちは。物語のアトリエの安藤です。
ライターとして歩んできた20年の振り返りで、今でも鮮明に覚えている取材のエピソードを綴っています。【ライティング:他者の話を聞いて書く】に興味のある方にとって、何か参考になることがあれば嬉しいです。
2000人以上取材した中でも決して忘れられない経験
前回の記事では、まったく知らないジャンルの取材をどう乗り越えてきたかについて書きました。今回は、相手が触れてほしくないことについて質問をしてしまった……というエピソードです。
タウン紙の記者をしていた頃、洋画家・嶋田しづさんが井上靖文化賞を受賞した際に、これまでの半生をインタビューさせていただく機会を得ました。
抽象画について完全なる無知だった20代の私は、何をどのように聞けば良いのだろうと、ずいぶん悩みました。逗子の山の上にひっそりと佇むアトリエを訪問したときの緊張感を、今も覚えています。
当時、嶋田さんは84歳。取材の準備を進める中、大正12年に樺太で生まれ、昭和12年から東京で暮らし始めたことが分かりました。他に事前に得られる情報は、ほとんどありませんでした。
地域に住む方々の半生を綴る連載枠だったので、その【14年間】にも触れざるを得ません。インタビュー冒頭は井上靖文化賞の話題から入り、近年の創作活動について伺いながら、過去をたぐり寄せるように進めていきました。
当時の自分は、本当に浅はかだったと思います。いよいよその【14年間】に質問が及んだ瞬間、部屋の空気が一変しました。重い沈黙。大袈裟でなく、時が止まったように感じました。嶋田さんは、低く小さな声で言いました。
「思い出したくないこともあるのよ」
私はしばらくの間、言葉を継げませんでした。ただただ申し訳なく、残りの時間は居たたまれない気持ちでいっぱいになってしまい、どのように取材を終えたのかすら覚束ないです。
いまだ全容が解明されていない、シベリア抑留。その当事者であったという事実の重さを、私は準備の段階で気づけなかったのでした。
語られなかった人生を、行間に。
帰社後、無力さに打ちひしがれながら、沈痛な思いでPCに向かいました。
一方で、「あの沈黙を無かったことにしてはいけない」とも思いました。
語られなかった空白の【14年間】を、どう書くべきなのか…。悩みに悩み、一文ずつ絞り出すように書いて入稿しました。
できあがった紙面を受け取った嶋田さんが、「本当にありがとう。嬉しいわ。これまで受けた取材の中で一番嬉しい記事でした。またアトリエに来てください。きっとよ!」と明るい声で編集室に電話を下さった時には、安堵と同時に胸が熱くなりました。
私はこの取材を通して、ライターの仕事は【書く】ことではないのだと痛感したのです。他者の心に、ただじっと耳を澄ませること。そうして、書けるはずがないと打ちひしがれながら、それでも言葉を探し続けること。ライターは、そうして不完全な自分を受け入れながら続けていく職業なのだと。