見出し画像

ずっと、父親に「ごめん」を言えなかった。

ようやく伝えられたのは、
後悔する前に言おうと決めたから。
いつか言えなくなる日が来たとき、
悲しみに押しつぶされたくないから。

10年以上経ってようやく言えた、
「ごめん」の一言は重かった。

画像1

2006年、自分が高校2年生のとき、
46歳の母が子宮体がんを患い、亡くなった。
その出来事がきっかけで、自分は将来の夢が
定まったが、家族と心が離れてしまった。

悲しみに押しつぶされながらも、
迫りくる受験と闘う日々を過ごしていく中で、
当時52歳の父親に変化があった。

まだ成人にも満たない自分と、
5つ下の妹。当時11歳。
慣れない家事と、仕事を両立させながら
生活する中での父親の変化。

詳細については、父親本人に
許可を得ていないため、割愛せざるを得ない。
文脈から、察するかもしれないが。

その変化を、当時高校3年生の自分は
認めたくなかったし、許せなかった。
変化というのは、正確に言えば本人ではなく、
その周囲の人間関係だ。

まだ、世間を知らない自分は、
なぜそうなったのか、
なぜそうしようとしたのか理解できなかった。


結局父親が望みたかったことは叶わなかった。


それは、子どもたちである
僕らを考慮したのか、そうではなかった理由が
あったのか、真相はいまだに
はっきりしていない。

だが、その結末を聞いて、
安堵していた自分がいたのは事実だった。

画像2

それから、10年以上の月日が経ち、
ふとした瞬間に謝ろうと思った。

それは、母方の祖母が2016年に亡くなって、
しばらく経ったタイミングのこと。

夜、二人で外食しているとき、
まだオーダーした食事が運ばれる前。

「あのさ。ずっと言いたかったんだけど」


父親が、何?という表情を浮かべ、
僕が言葉にするのを待っている。

「あのとき……気持ちを
分かってあげられなくてごめん」

少しだけ沈黙が続く。
店内で賑わう音が妙に大きく聞こえる。

大人になって、たくさんの経験を積んで、
自分の道を見つけられて、
大切な人が亡くなる気持ちと、
その寂しさと悲しみを背負う重さを知った。

人はいつ、亡くなるか分からない。

明日かもしれないし、10年後かもしれない。

唐突な別れが訪れる前に、
ずっと抱えていたわだかまりを、
伝えたくなった。

そのセリフを吐き出すまでに、
随分と時間がかかったけれど。

でも、きっとそういうタイミングなんだろう、
と自分に言い聞かせる。

「もう、新しい人生を歩んでいいから。
気にしないでいいから」

「……ああ」


父親から出た言葉は、重かった。

画像6

母の死後、家族の心が離れ、
ずっと心の中にしこりがあった。

謝るまでには時間がかかったけれど、
60歳の還暦を迎えたときからは
恩返しの意味でお祝いをしていた。

誕生日に合わせて食事をするのが定番。
比較的仲が良い方ではあったが、祝う際、
いつも過去の出来事が蘇り、
謝罪するまでに至らなかった。

言えてからは、以前に比べて距離が
近くなったような気がしている。

まだまだ67歳。少なくともあと20年くらいは生きてもらわないと困る。

画像3

今日は父の日。


今日このあと初めて、
4月に結婚したばかりの妻と
3人で食事をしにいく。

大変な世の中だけど、少しでも楽しく
良い時間を過ごしてもらえたらと思う。

これからも、後悔しないように、
会えるときに会って、感謝を伝えよう。

きっと、何かプレゼントを渡すよりも、
一緒に過ごす時間が貴重だと、
今のご時世、特に思うから。

それでは、行ってきます。

画像4

(起業1周年記念パーティーのときのもの)

( ↓ Twitterはこちらから ↓ )

画像5


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?