虚無感との付き合い方:ロゴセラピーの考え方「意味への意志」「発見的楽観主義」について
こんにちは、すぱ郎です。
心理療法を独習するときは、その多くが「自分の心を変えたいorコントロールできるようになりたい」という願望を抱いて始める事が多いのではないでしょうか。実際は、気持ちや気分のコントロールはあくまで心理療法の活用法のほんの一部分で、実際の活動や行動場面にどう反映させるかが大事なんだよな、と過去の記事でも書いた通りです。
とはいえ、やっぱり自分の中の嫌な気分に心が支配されている状態は辛いじゃないですか。
私は過去に一番つらかった時期、心の中を埋め尽くしていたのは「虚無感」でした。この実態を捉えにくい心のありように対してどうしようもないのかと絶望していた時期もありました。そんな中で、ロゴセラピーに触れたきっかけでもあるのですが、ロゴセラピーの本で「虚無」をテーマに扱った本を偶然発見しました。その本は当時立ち読みで到底読み込めるような本ではなく読破はしていませんでしたが、「どうもロゴセラピーは虚無感に対して何かアプローチできる可能性がありそうだぞ」と感じた私は、その後出来る範囲でロゴセラピーあるいはフランクル氏に関する書籍を読んでみる事にしました。
その中で、虚無感と付き合っていく上で参考になった二つの考え方があるので紹介してみたいと思います。
1.「意味への意志」を意識して行動してみる
生きる意味が見いだせず、空虚感に満たされた状態を「実存的空虚」と呼びます。実存的空虚を乗り越えるには、「意味への意志」が重要だとロゴセラピーでは言われています。
ロゴセラピーの根本的な考え方として、「人間は人生から問いかけられている存在である」というものがあります。そして、人間は人生からの問いに答える責任があると言われます。すなわちそれは、「自分がどうなりたいか」ではなく、「自分がどうあることを人生から求められているか」という視点が必要だという事です。
仕事に例えると「自分が将来どんなキャリアを描くべきか」「どういう風に仕事をこなしていくのが良いか」という視点で考えるだけではなく、「今私は仕事の中でどう動くべきなんだろうか」「お客様あるいは同僚に対してどう働きかけるべきなのか」という視点をもって、その「すべき事」に無我夢中で取り組むことが、「実存的空虚」を乗り越えるカギと言われています。
ここで問題になるのは、私の「すべき事」を何が保証してくれるのかという事になるのですが、私はその答えの一つは、個々が心に持つ「良心」だと思っています(「良心」とは何かで記事が一つ書けてしまうので、ここでは詳述は避けます。すみません)。その良心に従った「すべき事」に対して夢中で取り組むことが、ロゴセラピーの言葉で言う「自己超越」すなわち自分自身の事だけに囚われる状態から解放された状態に至る事が出来ると考えられます。
もちろん、常に仕事で120%頑張って必死で取り組めという話ではありません。もっと言うと、「ただ頑張る」だけでは自己超越は出来ないと思っています。そこに自分の良心(あるいはACTでいう価値の方向)のような道標を持った状態で取り組むことで成せることなのかな、と思います。
文字にしてみると改めて抽象的な部分が多いなぁと感じてしまいましたが、時には「自己中心」の視点から「社会(あるいは世界・人生?)中心」の視点で自分の思考や行動を振り返ってみても良いのかもしれません。
2.「発見的楽観主義」を目指してみる。
「発見的楽観主義」とは、自分の置かれた辛く苦しい状況のなかに、未来を楽観できるような事実を意識的に発見し、希望を感じられるようなとらえ方をする事をさします。
そもそも論として、人は「未来」を信じられないと絶望に至りやすいものであると言えます。「夜と霧」でも描かれていましたが、未来の希望を失った人たちは心も体も転落していく様が描かれていました。
人は未来を信じられないと絶望し、未来を信じられると強くなれます。未来はまだ決まっていないにもかかわらず、「もう駄目だ。これからの人生でいい事なんてひとつもない」と絶望してしまうのは、冷静に考えると筋の通っていない「認知の歪み」である事であると分かります。
そのような前提を踏まえると、どれだけ苦しくて絶望しか見えない状況下であっても、未来が好転する事を無根拠に楽観的に信じて未来に希望を見出そうとするべきであると考えられます。
と、いうわけでロゴセラピーにおける「意味への意志」「発見的楽観主義」について簡単にまとめさせていただきました。
以下は私見です。
意味への意志も発見的楽観主義もどちらもそうですが、正直言って「本当に辛い時にこんな言葉を耳にしたら人によってはかえって毒になる」と私は感じました。マッチョイムズというか体育会系的というか、兎に角あまり人に優しくない考え方だなという印象を受けました。
しかし、本当にしんどい急性期を超えて回復期に差し掛かった人によっては、このような考え方の転換は、もしかしたら重要な転機になりうるのかもしれません。
重要な事は、その時の自分の視野が異常に狭くなっているかもしれないという事に「気付く」きっかけとして活用できるかもしれないという事です。また別の記事でも書きますが、将来の不安や焦りや絶望に気持ちが支配されている時は、大抵視野が狭くなっています。兎にも角にも、まずはそういった自分の状態を少し客観的に眺める機会が必要だと思います。それらを促すワークを経て少し視野が広がった状態から、「じゃあ自分はどう生きていこうか」という疑問の1つの解消法として、人によっては取り組む価値はあるのではないかと思います。
どうしてもロゴセラピーは具体的なワークなどよりもそのベースにある考え方みたいなものが重要な療法なので、今回の記事もいつもより抽象度の高い内容になってしまったのではないかと思います。断片的にでも、ロゴセラピーに関してはまた少しずつ情報提供できたら良いなと考えています。
以上です。最後まで読んで頂きありがとうございました。
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