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【藤田一照仏教塾】道元からライフデザインへ(19/12)学習ノート⑤

(ここまでの12月一照塾)
仏教塾恒例(?)、一照さんのearly bird talkは、学習ノート①にて。
11月からのhomeworkをシェアするグループワーク「さすが道元、よく言った!のワーク」前半部分は学習ノート②、後半部分は、学習ノート③にて。
グループワークで取り上げなかった論点についての一照さんの講読は、学習ノート④をご覧ください。

この学習ノート⑤では、講義後半のソマティックワーク「丹田のお世話をするワーク」について振り返っていきます。

1. 前を真っ直ぐにすると後ろが真っ直ぐ?

今季の塾のソマティックワークでは、『感じる力でからだが変わる』という本をテキストに、いろいろなワークをしてきましたけれども、

"飽きた"というわけではないのですが、今日は今シーズンの最終回でもあるし、違うことをやってみようと思います。

その前に、先月のhomeworkですが…

(11月一照塾からのhomework)
「顔で動く」「頭で動く」実践(テキストp.284)と、それを知人2〜3名にも実践してもらい感想を持ち寄る。

やってみて、身についた? 家族や友だちにも勧めてみた?
これは、意識を変えるだけで動きが変わることの一つの実例だと思います。

今日も、最後には坐禅や瞑想をするのですが、その時の姿勢で、「背中を真っ直ぐにする」というのが、経典にも書いてあるのですが、僕としては結果的に背中が真っ直ぐになるようにしたいんです。

「顔の向きが変わっているのだけど、それは後頭部の向きが変わっていることの結果」というのが、今回の宿題のミソだったわけです。それと同じように、身体の後ろ側に影響を与えたい時に、身体の前側のことを言うというのが一つの手なのです。

その言い方は、

「恥骨とおへその間の距離が伸びるように」

というものです。

この間に何があるのかというと、「丹田」があります。

ちょうど昨日、僕がやっているオンラインのお寺「磨塼寺」の"リアル坐禅会"をやったのですが、

ここでは、この塾と同じようにいろいろなワークをしてから坐っているのですが、昨日は、お二人ともヨガの先生をしている新開桂さんと春樹さんのご夫妻に、丹田に焦点を当てて処方された一連のヨガの動きを指導していただきました。

リアル坐禅会には、初めて坐禅をしたという人もいましたが「すごくすっきり坐れた」という高評価が返ってきたので、ここでもご紹介しようと思います。

§

2. 丹田の"丹"って何?

皆さん、丹田という言葉は聞いたことがあると思いますが…この「丹」って何ですか?

実はこれ、「水銀」のことです。正確には硫化水銀(辰砂)のことですが、身体にたくさん摂り込んでしまうと、水俣病のような病気になるのですが、ごく微量だと、死んだ人間も生き返らせてしまうくらいの不思議な力をもったものだと、古代の中国では考えられていて、かつての中国の皇帝たちは、水銀を国じゅう探させたのですね。

日本で「丹沢」とか「丹後」という、丹の字が地名に入っている場所は、水銀が出るところだったといわれています。

丹田の"田"は、それを育てるところ、耕すところという意味なので、不可思議で霊妙な生命力(丹)を、溜めて耕して育てる場所(田)というのが、丹田です。それが、恥骨とおへその間のどこかにあるわけです。

田んぼなので面積があります。かたちは丸いものだといわれています。息を吸ったときに広がる感覚があるあたり、大体そのあたりだなという感覚でいいです。
昨日のリアル坐禅会が終わったあとに「丹田がどの点か分からないのですが…」という質問がありましたが、丹田は点というよりは"領域"と言ったほうがいい。
またの名を、気の海「気海」とも言って、「気海丹田」という言い方もします。

昨日のリアル坐禅会で新開さん夫妻に習ったことを僕自身が忘れないための復習も兼ねて、今日のソマティックワークは丹田に焦点を当ててやってみたいと思います。

仏教は、インドで発生して中国を経由して日本に伝わってきましたが、それぞれの仏教に特徴があります。インド仏教がオリジナルだとして、中国では道教や儒教と化学反応を起こして中国仏教ができたし、日本にはインド仏教を取り込んだ中国仏教が入ってきて、神道や土着の宗教・信仰と化学反応を起こして、日本独特の仏教ができています。
そのどれにも共通しているのが「丹田の意識を重視する」ことなのではないかと思っています。

§

3. どこで意根を坐断する?

今日の講義とも関係しているのですが、「意根を坐断する」のはどこでやるかというと、丹田でするということです。
意というのは、性質としては「陽」で、その特徴はふわふわして地に足がついていなくて、上に向かう傾向があるということです。


◆ art of 坐断ningの発見
もともと陽性の性質をもった意を、坐断(感覚器官を守りつつ、気持ちをあちこちに行かせない)して、丹田におさめる。
上が騒々しくがやがやしている時に、恥骨からおへその間の領域に意識を持ってくることで、アタマが静かにおさまってくるという生理現象を、古代の人は発見して、それを「art of 坐断ning」という感じで技法化したのが丹田です。

むかしの人に比べて、意根がより過活動せざるを得ない状況に生きている現代の我々にとっては、意根坐断法としての丹田というのは非常に大きな問題になってきます。


◆ 自己肯定感が薄くなる身体がある
先ほども話題に出ていた「自己肯定感、承認要求」なども、単に心理の問題だけではないと思います。自己肯定感や承認されている感じが薄くなるような身体のありかたが必ず背景にあるはずなので、そこからアプローチしていく必要があると思います。

僕は学生の頃に心理学を勉強していて、心理臨床のケースなどを読んでいても、心理だけでは無理なのではないかと思っていました。それで、様々な身体技法や東洋医学に関心が向いて、そこで坐禅に引っかかった…という経緯で僕はここまで来ているのですが、そういう問題関心は変わらずに持っています。
身体を何とかすれば、心の問題が100%治ると思ってはいませんが、真理の問題をあまりにも心理だけで解決しようというのは、可能性を限定しているような感じがしていて、両側からアプローチするべきだと思っています。


◆ 仏性論と身体論
丹田というのは、死んでいる身体にはなくて、生きた身体には必ずあるのだけれど、育てる必要があるということです。

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これとパラレルになるのが「全ての人間には必ず仏性があるが、それは育てていかなければいけない」
僕は、このような仏性論を身体論的に翻訳して理解しています。


◆ 丹田、動きの要
声も含めて、手足や身体のすべての動きが丹田から生まれるという意識をもっていれば、身体の末端が統一されながら自由に動けるということです。
これがないと、要のところがなくてバラバラになって風を起こせない扇子みたいになってしまう。あの要という動かない一点があるから、骨組みがバラバラにならないで扇子は風を起こせるわけです。
身体の動きの要になるところが、丹田です。武術などでは特にそのように言われています。

坐禅の足や手のかたちを見ても、全部ここに集めようとしている意図が見えます。

では、今日はここまでずっと頭を使って考えてきたので、足のほうへ意識を持っていきたいので、「足踏み」をやってみようと思います。
2人一組になりますので、「この人にだったら私の足を踏まれてもいいわ」という人を見つけてください(笑)。

§

4. 足踏みのワーク

(一照さんinstruction)
足を踏まれる人は、うつ伏せで寝ます。
踏む人は、うつ伏せで寝ている人に背を向けて、つま先のところに立ちます。

● 足指の付け根を踏む
踏む人は、寝ている人の足指の付け根をかかとでゆっくり踏みます。ギューッと、じわーっと踏んだり緩めたり…というリズムを左右交互に。
親指を踏んだら小指のほうへ踏みながら移っていきます。小指までいったらまた親指のほうへ。2~3往復くらい行ないます。

● 土踏まずを踏む
踏む人は少し後ろへ移って、土踏まずをかかとで踏みます。
かかとで土踏まずを踏んだら、立っている人はパートナーの方へ向き直って、今度はかかとではないところでも踏みます。寝ている人と足をぴったり重ねるような感じで。
踏んでいる人は、相手の足を"青竹踏み健康法"の竹だと思って、自分の足をほぐすつもりで踏んでください。実は、踏んでいる人の足は、寝ている人の足に踏まれてもいるのです。
もつれている糸のかたまりをほぐしてあげるような感じで、相手の足を踏んであげてください。

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● 三陰交を踏む
今度はちょっと変わった踏み方ですけど、かかとで土踏まずを踏み、つま先が相手の足首の内側にある「三陰交」というツボに当たるようにします。小指の外側で、相手の足のかかとを内側から外側へ倒れるように踏みます。
まずは片足ずつ行ないます。足首が外旋するかっこうになります。人によっては、足首や股関節が固い場合がありますから、気をつけてください。

左右それぞれで踏むのに慣れたら、今度は両足で相手の足に乗って踏んでください。
● アキレス腱ほぐし、ふくらはぎプルプル
今度は、踏む人は相手の左側に立って、右足で相手の左足のアキレス腱を踏みます。かかとは床につけておいてください。
アキレス腱を3~4回踏んだら、ふくらはぎを少しずつ上へずれながら踏んでいって、膝の下のところまで。ふくらはぎをつぶしていくような感じで踏みます。膝関節は直接踏まないようにしてくださいね。膝の下までいったら、また下へおりてきます。冬はふくらはぎが縮んでしまっているので、ここをほぐしてあげます。
アキレス腱から膝下まで踏んだら、今度は足の裏を使って相手のふくらはぎをプルプル揺すってあげてください。
左側が終わったら、相手の右側へ回って、左足で相手の右足を同じように踏んでいきます。
● 足の甲から足首の前面、すねの前面をのばす
今度は、また相手の足先にまわって、膝から下を持って持ち上げます。踏む人は相手の両ひざを閉じて揃えて、自分の両ひざで相手のひざを外側からはさみます。
つま先を持ってゆっくり押して、足の裏をおしりにつけていきます。柔らかくて足裏がおしりにペタッとつく人もいれば、固くてつかない人もいるので、足を押した時の抵抗の具合を見ながら行なってください。
ギューッっと押したら、緩めて、相手にひと息つかせてあげてください。緩めたら、またギューッと押します。

踏まれている人は、「痛てーっ!」と叫び声を上げるくらいなのはまずいけど、少々痛いくらいは受け入れてくださいね。

§

5. 白隠禅師と「禅病」

丹田の空間、スペースを感じるというのが大事だと思います。
「腹に一物」とか「腹黒い」という言葉があるように、丹田は心のありようと関係が深いところです。むかしの「切腹」も、魂は丹田のところにあると考えられていたので、おへその位置とかではなくて、魂を見せるために下腹のところを掻っ捌いたのですね。
ここからは、この丹田のところを柔らかくするワークをやってみます。


丹田については、臨済宗の白隠禅師もいろいろなことを書いていて、白隠さんも意根が過剰にはたらいて、「禅病」になったのです。

最近、僕があるところで講演をした時に、あるお母さんが、「息子が禅の修行道場に入って、とてもポジティブな内容の手紙が来るようになって喜んでいたのだけれど、坐禅をずっと修行しているうちにノイローゼのようになってしまって、帰ってきちゃったんです…」と話していました。

あまりにも真面目にやり過ぎると…真面目というのは脳でやることなんですね。「修行とは、坐禅とはこうでなければいけない」みたいな。
脳であまりにも過激にやってしまうと禅病になっちゃうんですね。

白隠さんも禅病になって、動悸がしたり夜眠れなくなったり、何か変なものが見えたり…という症状があったそうです。


◆ 上実下虚から上虚下実へ
漢方だと「気の上逆」といって、丹田におさまっていくべき気が上に上がって、脳を下からガンガン突き上げて、その刺激で脳がいろいろおかしくなって収拾がつかなくなってしまう。これだと「上実下虚」の状態です。

気の絶対量というのは決まっているのに、それが全部上のほうに集まってしまうと、丹田が疎かになって「腑抜け」みたいな状態になってしまう。
ノイローゼの人で姿勢の良い人はいなくて、ほとんどが下腹がふにゃっと抜けてる人が多い。恥骨とおへその間の距離が縮んでるのですね。丹田が圧縮されてしまってスペース感がなくなっています。

お腹に赤ちゃんがいる時の女の人は、丹田のところがすごく広がってますよね。気がそこに満ち満ちている状態です。何といっても生命をそこで養っているわけですからね。男はあれを経験できないのが残念です。赤ちゃん産みたい!(笑)

気が上逆する上実下虚から、「上虚下実」の状態にしないといけない。

身体じゅうの気が全部丹田におさまって満ちてくる
  ↕
上が空っぽになるので、上の力が抜けて働くようになる

この2つはセットです。
上(脳)は「陽」の場所なので、たくさんはたらかなきゃいけないんだけど、下(丹田)がなければ、ふわーっとどこかへ連れて行かれてしまうんですね。

「息の根を止める」の"息の根"は、丹田にあります。喉とかを絞めるのが息の根を止めるのではないのですね。
丹田を充実させるのは、力むこととは違います。「自ずと気が満ちてくる」ということです。無理やり力んでやると、丹田を絞ってしまうので、気を溜めることができない。リラックスしているけど充実している感覚です。


◆ 腰脚足心
白隠さんに話を戻すと、白隠さんは禅病を治すために、ある仙人から秘法を伝授されたのだそうです。白隠さんが書いた『夜船閑話(やせんかんな)』を見ると、「腰脚足心」ということが書いてあります。"足心"というのは、土踏まずのことです。

吾が気海丹田 腰脚足心、總に是れ趙州の無字、無字何の道理か在る。

腰や足でしっかりと地面を踏みしめ、恥骨とおへその間があいている。下半身がそういう状態になって上半身がリラックスしている、これが「上虚下実」で、人間が持っている潜在能力が最も発揮できるような状態です。この状態にないのに発揮しようとすると、汗ばかりかいてパフォーマンスが落ちる。

§

6. 丹田の"お世話"のワーク

(一照さんinstruction)
まず、仰向けに寝ます。「腰脚足心」が一直線上に揃うようにします。
息を吸いながら右脚を持ち上げて、膝が骨盤の真上あたりに来るようにもってきます。
息を吐きながら膝を胸のほうへ引き寄せて、下腹の右側のところをギューッと圧縮します。

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膝を引き寄せていた手を少し緩めながら息を吸って、また息を吐きながら今度は頭を上げて、おでこが膝にくっつくようにします。

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息を吸いながら脚を床の上に戻して、息を吐きながら脚を伸ばしていきますが、丹田から脚が伸びていく意識をもって伸ばしていきます。
左足も同じようにして行ないます。

左右で行なったら、今度は両足同時に行ないます。
身体の前側が縮むとともに、後ろ側が伸びて仙骨と腰骨の間が開いて離れるようにします。
息を吐きながら、頭と膝を近づけて、小さく丸くなって丹田を圧縮します。この状態で息を吸うと、息が背中のほうへ入っていくのが分かると思います。

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両足を伸ばす時も、丹田から脚が伸びていくようなイメージで伸ばしていきます。脚が伸びきって、もとの姿勢に戻った時に呼吸をしてみると、さきに下腹をギューッと圧縮した反動で、丹田がゆっくり拡張して、吸う息で拡がり吐く息で下腹が沈むという感覚が、最初よりはっきりすると思います。
● 骨盤底を引き上げる
床にペタンと坐った姿勢で、左脚を曲げて、かかとが会陰につくようにします。肛門と性器の間のところには、会陰という大事な場所があります。気が流れている経絡が下で交差しているところです。上は、頭のてっぺんにある「百会」というところです。百会と会陰で、身体の上下で経絡のハブになっているわけです。

右膝を立てて、右腕で膝を外側から抱えます。左手は左膝の上に置きます。
この姿勢で、息を吸いながら骨盤底を引き上げます。吸う息で骨盤底を中に吸い上げるような感じです。
丹田のあたりがギューッとした感じになると思いますが、今度はこれを、息を吐きながらじわーっと緩めていきます。「パッ」と離すのではなくて、ゆっくりじわーっと緩めます。この緩んでいく感じを味わうために、さきに骨盤底を中へ引き込んでおくわけです。

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今度は、丹田のところに手を当てて、息を吸っておいてお腹がふくらんだら、丹田を小刻みに圧縮していきながら、鼻から息を短く素早く「フンッ!」「フンッ!」と吐いていきます。10回繰り返しますので、息を吐く強さは、10回連続でできるくらいに調節してください。このときに大事なのは、恥骨とおへその間の距離が伸びていることです。広げようとしなくてもいいです。実際に広がっているのを感じることです。

息を「フンッ!」と吐くことだけ意識してください。圧縮した丹田を緩めると、吸う息は勝手に入ってきます。

10回を3セット行ないます。

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7. 股関節をほぐすワーク

(一照さんinstruction)
● 内転筋の刺激
これから坐りますが、その前に股関節をほぐすヨガ的な体操をします。
坐った姿勢から、両脚の裏を会陰の前で合わせて、両足のかかとがなるべく会陰にくっつくようにします。
手を両ひざの上に置いて軽く上下に揺すって、内腿のところを伸ばしていきます。

この時に、恥骨とおへその間を伸ばしておきます。
あごを締めて、骨盤を前へゆっくりと倒していきます。頭から行こうとしないで、おへそを床につけに行くような感じで骨盤を倒していって、無理のない範囲で行けるところまで行ってください。息を止めないように。

これを毎日少しずつやっていくと、だんだん柔らかくなっていきます。
前に倒れる時に、誰かに背中を押してもらわないほうがいいです。それは股関節の柔軟性の改善にはあまり役に立たないので、自分で丁寧に行ないます。
たくさん回数やるよりも、丁寧に3回やったほうがいいです。
一日3回、朝昼晩やると、1か月で改善がみられると思います。
10年かけて床までペタッとつけるくらいのつもりでやってみてください。

● 脚の裏側を伸ばす
今度は、脚を閉じて両足を前を伸ばして長座になります。
腿の裏やふくらはぎを伸ばしていきます。
息を吸いながら、恥骨とおへその間を伸ばしておきます。
息を吐きながら、股関節を折り目にして上体を前に倒していきます。上体が倒れる角度は気にしなくてもいいです。脚の裏側がピーンと伸びている感覚を味わいます。それから、骨盤と背骨の間が広がっている感覚か大事です。
行けるところまで行ったら、そこでしばらく呼吸します。

§

8. 瞑想・坐禅

では、坐りましょう。座布団を坐蒲代わりに使ってください。坐蒲をお持ちの方はその上に坐ってください。
足を組まない「安楽坐」でもいいですし、片方の足をもう片方のふくらはぎのところに乗せる「1/4跏趺坐」でもいいし、組める人は半跏趺坐でも結跏趺坐でもけっこうです。安定した土台ができるように、自分なりに工夫してください。
座布団や坐蒲の高さによって、ひざにかかる重さが変わってきます。あまり高いと前屈みになってしまうので、適度な高さで。

この状態で、恥骨とおへその間が広がるような意識を持ちます。そうすると、身体の後ろ側が立ち上がってきます。"後ろをまっすぐに"するのではなくて、下腹の丹田のところがまっすぐに。クシャっとなっていないでしょうか?

先ほどやった、丹田をキュッと絞って短く勢いよく「フンッ!」と息を吐いたのは、背骨の前側を、吐く息で掃除したのです。それで、息の根はどこかというと下腹のところですから、丹田から息が出ていくし、息が入っていくのも丹田です。
鼻から入った息は、厳密に言うと、眉間のほうへあがってから、背骨の前側を通って、丹田まで通じています。息が通る広い穴が開いていて、一旦上へあがってから、背骨に沿って下りていきます。こういうコースを感覚で辿りながら、息を吸ってください。ひと息ごとに丹田にエネルギーが満ちていくようなイメージを持ちながら呼吸していきます。

手は、丹田を下から支えているようなかたちにします。
もちろん、ほんとうは丹田の中に入れたいのですが、入らないので、手をお腹の中に入れている感覚で。

(一照さんinstruction)
それでは、軽く目を閉じて、恥骨とおへその距離を広げるような感覚で坐ります。
鼻から吸った息が、まず眉間のほうに上がってから下におりていきます。この息の行方だけ観ていてください。吸う息の行方だけでいいです。吐く息は普通に吐いていきます。

... ...

身体のチューブの中を息が通っていく非常に微かな音を聴き取ろうとしてください。
姿勢の微調整で、空気が丹田まで通りやすいような道筋を作ってあげてください。

... ...

鼻から入って息が、何にも妨げられることなく、背骨の前側を通って丹田に溜まっていく心地よさを味わいます。

... ...

入ってくる息の音を聴きます。
丹田は、生命エネルギー(vital energy)が貯蔵されているところと言われています。ここにアクセスすることで、vital energyが発揮されて、それが僕らを目覚めさせてくれます。

... ...

恥骨とおへその間の距離、縮まっていないですか?
ゆったりした下腹に、息が溜まっていきます。

では、ゆっくりと眼を開けます。
眼を開けると光が入ってきて、明るい坐禅になります。瞑想というと「瞑」という字がありますから、眼を閉じて暗い中で行なうことが多いですが、坐禅は基本的に明るいものです。
しかし、最初に目を閉じてもらったのは、我々は普段目を酷使しているので、「目でよく見なければいけない」という衝動を手放してもらおうという意図でした。最終的には、眼を開いて明るい坐禅を行っていきます。

ゆっくりと手を合掌のかたちにして、一礼して、終わります。

丹田の清々しいスペース感と、スムーズな息の流入が感じられると良いと思います。
丹田にしばらくの間意識を置いておくことをやってみてください。
話すときも、丹田から声を出す。声は喉にある声帯が振動することで出ているのですが、その数瞬間前には丹田から声は出始めています。

声も、手も足も、すべては丹田のところから出ているというのを覚えておいてください。

§

9. 一照さん、今季の塾を振り返る

(桜井さんの問いかけ)
今季は、一照塾としては初めて道元さんを取り上げたわけですけれども、一照さん自身の今季の塾での学びや気づきを、ぜひシェアしていただければと思います。

〔一照さんコメント〕
東京で4回、京都で4回開講して、東京では『弁道話』を読みました。

京都では『学道用心集』を読んだわけですが、どちらも以前から何度も読んでいるものですが、こうやって皆さんの顔を見ながら話していると、本から学んだことではないものが僕の中からいくつか出てきて、そのせいで脱線したり、予定にないことを話してしまったりしたことがしばしばありました。

そのようにして読んでいくと、参考書などの助けを借りながら自分で僕なりの読み方をしていたのではない読み方ができるような、新たな発見みたいなものがその場で勇み足的に出てきて、今まで言ったことがなかったような言い方とか、考えたことがなかったアイデアが出てきました。

「こういうのが、古典なんだな」と思ったものでした。

掘ったら掘り下げただけの答えが、向こうから返ってくるようなものが古典なんだなと思いました。

homeworkについても、「道元さんにいちゃもんをつける」という宿題や、

そのあとには、「道元さんよくぞ言った!」という感じで…。

これも、その場で思わず浮かんできた宿題で、「我ながら良い宿題出すじゃん!」と思いましたね、僕の新たな才能が発見されたというか(笑)。でもそれは、皆さんの存在がそれを助けてくれているので、皆さんと僕の交流の中で、僕も皆さんも想像していなかったような新鮮な発見なり洞察なりが、僕にはあったのですけど、皆さんにも同じように何かあったら嬉しいと思います。

§

10. 来季(2020年度)一照塾の構想

2015年度からの最初の3年間は、年間で全8回を東京で行っていました。そこでは、英語で書かれた仏教書をテキストとして読んでいたのですが、3年経ったところで、ちょっと変えてみようということで「移動する学林」というスタイルにしました。

テキストには「あまり仏教色が出ていないものを」ということで、この本を使いました。

今年は、また少し変えてみようと仏教でやってみました。

◆ 来季の塾の構想:座学
来年は、鈴木俊隆さんをテキストにします。鈴木俊隆老師という人は、アメリカ仏教を語るには欠かせない人物で、僕が監訳した鈴木老師の伝記本が最近出ました。

「日本編」と「アメリカ編」に分かれていて、誕生から遷化されるまでのことが書いていあって、弟子たちとのやり取りや、提唱では何を言ったかとかが書いてあって、けっこうおもしろい読み物になっています。
また、彼を一躍有名にした『禅マインド ビギナーズ・マインド』の翻訳も新書版で出ていますので、

日本ではそれまでほとんど知られていなかった鈴木老師の教えや生涯が日本語でも読めるようになってきたので、それを縁として、鈴木俊隆さんをたたき台にして、僕ら自身が彼が伝えようとした"何か"を学んでいく…という構想をもっています。

(来季構想についての桜井さんからの補足)
近代という時代への反省が、ヨーロッパでは起こったけれど、起こらずに済んでしまったアメリカに対して鈴木俊隆さんが禅を伝えに行ったという構図が、近代への反省が起こらなかった強いアメリカを真似した日本という、既得権がまだたくさんあるようなシステムに対してもう一度考察してみるためのヒントになるのではないか…ということと対応するということで、鈴木俊隆さんを取り上げましょう…というアイデアです。

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来季も4月から塾は始まるので、具体的な内容は冬の間にいろいろ練っていこうと思います。

◆ 来季の塾の構想:ソマティックワーク
鈴木俊隆さんは、ボディワークの人たちともクロスしているところがあるので、藤本靖さんというロルフィング®のスペシャリストも合流して、

僕がずっと探究してきた、「体壁系でありながらも、悟りの道へ」というのを、センサリー・アウェアネス(Sensory Awareness)というソマティックワークの観点からも探っていきます。

(桜井さん補足)
藤本さんは、「健康」という概念よりも「生命力がある」ということのほうが大事である、と仰っている方で、様々な問題を神経系で編み直していけるのではないかと考えていらっしゃいます…という方が、塾とコラボレーションしてくださいます。

座学では、この時代を考えるために合っているだろうと思われる、鈴木俊隆さんの言葉を僕のほうでいくつか選ばせていただいて、それを基に、仏教的な考察と、藤本さんがガイド役になって身体論的にもアプローチしていく…という構想です。

藤本さんは、一照さんとも非常に親しく交流されていて、例えば「人が生きていく」という"動詞"があるとして、その動詞が発揮できるための「準備」が大事だと思っている人です。そのために、開いていないものをきちんと開いて、それがactivateされた状態で生きましょう…と言っています。

藤本さんは、上智大学でも面白い授業をしているし、「芸人さんや実業家の人は、神経系がうまく使われている」ということを考えた本を出しています。

藤本さんはこのように、身体のはたらきを面白いかたちで伝えようとしている人なので、コラボできるのを愉しみにしています。

§

11. 塾が終わったあとの人生で取り組むhomework

(桜井さん)
せっかく今シーズンは道元さんに取り組んだので、それを今後の人生で取り組むhomeworkとして、普段意識できていたらいいなというワークが何かあれば教えてください。

実践では、坐禅がいちばんいいのですが、その前の段階というか、立っても歩いている時でもできる、今日やった「恥骨とおへその間が伸びるような姿勢で、鼻から入った息がいったん眉間に上がってから背骨の前側を通って丹田に入る呼吸」、これを日常的にやってみてください。息が通る時に身体は動いていますので、そうすると丹田が開いていきます。"よし、やろう"と思ってやるところから、「気がついたらやっている」レベルまでやり込んでみてください。

もう一つは、『学道用心集』を後期に読んでみて、道元さんはこういう書き方をするのかというのが大体分かったと思いますので、道元さんにさらにもう少し親しんでいただけたらと思います。
別に僕が道元門下だからそう言うというわけではないのですが、なるべく僕らの普段の常識の中で使われているのではない言葉を紡ぎ出そうとして書いたものを、僕らが陥ってしばられているあるパラダイムから解放してくれるための鍵として、あるいは解毒剤的な意味で読んでいただいて…

できれば原文に親しんでいただきたいと思います。

現代語訳にすると、道元さんの考えを"第四図"的な世界に連れ込んでくることになってしまうので。
生(ナマ)の原文を音読していると、ところどころ記憶に引っかかってくるようなこともあるので、ご縁のある道元さんの作品の原文を声を出して読むのをやってみていただけたらと思います。

来年の塾はいまお話した構想で行ないますし、その他にもいろんなワークショップなどもやっていますので、またお会いできる機会があったら、これに懲りずにまた来てください。

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