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023 ライフシフト 「期待にこたえる必要がなくなって、母から自由をもらった」

5:53 今日はねこの"ノエルさん”に起こされる。彼女は協力的。

そもそも「愛」ってなんじゃい?ってこと。


突然ですが「愛」って何ですか?

それぞれの想いがあるから”答え”なんてない。

そりゃそうだ。


もうすぐ母の命日だ。ようやく1年がたつ。

自分ができる事は今はもう無いのか?

そばにいないから何もできない?

これは違うと思うんだよね。

母はひとりっ子の僕のことをかなり愛してくれていました。

誰かと話すときは自慢してくれてました。ぼくが40歳を過ぎても。

その期待に応えることが今までの自分の人生だった
そんな気さえします。いや、そうでした。

これは、愛なのか?


かなり苦労の人生だった母は、

いつでも笑顔を絶やさない、いわゆる太陽みたいな人。

たまには愚痴も言いましたが、
息子目線でもすごいと思えるような”ギブ”の人でした。

自分の苦労した人生を誰かの役に立てたい。

「話を聞いてあげたり、心を軽くしてあげたい」

パン屋をしてましたから、接客しても笑顔もパンもあげまくってました笑

”笑顔に会いに来る”お客さんもたくさんいました。よく話し込んでました。


母の期待に応えることが喜ぶことだと思ってたんですよね。

おかしなことではない、と思います。なにひとつ。

それで自分のやりたいことをしてお菓子屋さんで独立した。

それなりに美味しいと評判になり、
となりでお店をしている母の自慢になった。

母が他界して、お菓子屋さんは辞めた。

今まで、少し無理をしてお店をしていたのかもしれない。

色んな人の期待に応えることが少し、しんどくなってました。

母が他界して期待に応える必要がなくなって、自由を母からもらった。

形としてのお店がなくなり。パン屋もお菓子屋も。
さみしいかと言われれば、少し寂しいけど後悔はない。

母がいて成り立っていた気も、今となってはするから。

あのまま続ける方がきっとさみしかった、と思う。

かたちがなくなる事で「母の想い」は心に残った。

もう話すことはできないけれど、生前さんざんしゃべった。

思ってることは、よくわかる。

「生きたいように生きなさい」だ。

そして、その生き方をはじめてみて、少し気が付いた。

「母のしたかったことの続き」をしようとしている。

期待に応えるのではなく、自分のしたいこととして。

愛はある気がするなぁ。僕なりの愛が、ここに。


ひとは一生懸命、一所懸命遠慮なく
自分を生きることが、最高の置き土産なんだと教えてもらえた。

あのひとは、自分であることに遠慮しなかった。やりきった。

そう思わせれるような人生にしたいなぁ。

残された側は、「ありがとう、おつかれさま」しか言えないんだよ。

もうすぐ1年経つけど、感謝しかないよ。

「愛」はここにあったな。



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