疑うお仕事のありがたさ
先日、スーパーのセルフレジで、バーコードを読み込まずに全部エコバックに入れました。決済しようとしたら0円となっていて気づきましたが。
隣に店員さんがいましたが、声をかけられることはありませんでした。わたしが気づいたことで、ほっとした表情をしていました。
人を監視して苦言を呈する仕事は、ストレスフルです。わたしなら、今日も何もありませんように、と祈りながら仕事します。そしてそういう仕事をしてくれる人がいるから守られる、ありがたいとも思います。
わたしがカスタマー対応をしていた頃、保安検査場の経験者がいました。
彼女は定期的にお客様と喧嘩をしていました。「未払い金催促通知が来た」という電話に対して、「間違うはずない、支払うべき!」と戦ってしまうのです。しかし本人にはその自覚がありません。「え?私は何も悪くないですよね?」「なんで私が悪い事になってるのか意味がわかりません。」と。
彼女と話をすると、「基本人間を疑え、システムが間違うわけない。」という考えが染み込んでいることに気づきました。
消費者金融の審査部では、キャッシングリストで友人を検索するそうです。さらに審査時には「人間は嘘つきだ」を前提に、疑わしい点を色々な質問で暴こうとするそうです。
毎日、人を疑う思考ができあがります。最初は些細なことでも、いろんな点と点をつなげて、自分で沸点を上げることができるようになります。本当は別にどうでもよかった事でも、段々イライラしてきて、全く関係ないところに飛び火し、執着に変わります。
疑う仕事は、疲弊します。セキュリティがあるから守られるのに、人は不快感をぶつけてきます。「こっちは守っているんだ!」と思わないと仕事できず、疲れて辞めてしまう人も多いのですが、辞めても疑う考え方は根付いたまま。
人間を制すのは、AIに任せるのがいいと思います。最終的には支配されそうですが。
ただぼんやりして、毎日をていねいに過ごし、どうでもいいことを言って、ぐっすり眠るのが一番かもしれません。
喜びます、ありがとうございます。