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1月に3週連続、鯖のきずしをつくった。きずしとは関西の言葉で、関東でいうなら、しめ鯖だ。

毎週買い出しに行く伊丹の公設市場に魚屋があって、まるまるとした鯖が安く売っていた。値札に「きずしできます」と書いてあったので、恋人とふたりで顔を見合わせ、やってみようか、と買ったのが始まりだった。

店長さんに、きずしにチャレンジしようと思って、と言ったら、じゃあ3枚に下ろして、塩までしときます?と言われたので、言われるがままにそうしてもらう。家に帰って、レシピを探す。塩を落として、砂糖いりの酢につけ、アニサキス対策で冷凍。数日後、できあがったきずしを食べて、これはいいね、となる。自分でつくったからの美味しさ、たっぷり食べられるという嬉しさ。とにかく幸せな気分になる。

当然のように、翌週もまた鯖を買うことになる。同じように塩までしてもらう。今度は、恋人がつくると言うので、まかせる。酢に昆布を入れたという。相変わらず美味しいのだけど、前回よりしまり方が弱い感じがする。食卓で、なぜこうなったのか、どういう仕上がりを目指すのか、議論がはじまる。この議論自体がまた美味しさを底上げする。いろいろ試してみて、自分たちの好みを見つけよう、ということになる。

そして、3回目は、3枚に下ろすだけで、塩はしないでもらう。半身ずつ、塩で1時間、砂糖で1時間の順でしめるのと、砂糖、塩の順でしめるのと、試す。最後に昆布をいれた酢でしめるのは一緒。これは、ひょんなことから、家に来ていたお客さんに振る舞うことになった。両方、切って出して、食べ比べてもらう。砂糖が先のほうが、生っぽさがあり、塩が先のほうが、酢を強く感じる。お客さんたちも、それぞれ、僕はこっちが好き、いや、私はこっちだな、と言い合っている。

結局、鯖の状態はそれぞれ違うから、いろいろなやり方を試して、これだというものにたどり着いたとしても、それをまた再現できるかどうかはわからない。結局、ずっと、つくって食べて話して、のくり返していくのだろう。

昔、北海道で飯ずし(関西で言う、なれずし)づくりについて、取材をしたことがある。北海道では、11月終わり頃に漬け、大晦日に樽をかえして、その年の出来栄えを家族で確認する。話を聞いたお母さんが「今年は去年よりいい塩梅だね」「おばあちゃんの味には、なかなか近づけないわ」のような、飯ずしについての食卓での会話も、また大事な一品なのだ、と言っていたことを思い出した。年に一度、数日、数人がかりの飯ずしづくりと、きずしづくりでは、全然レベルが違うけれど、それでも、こうやって、ゆっくりふたりで味の記憶を重ねていく料理が、増えていくのは嬉しい。

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