書評:ぼく達が選べなかった事を選び直すために

著者:幡野広志
出版社:ポプラ社

なぜ読んだ 

友達のmiwamachineさんがオススメしていたから
自分は主体的に選択して人生を過ごしているか疑問に思うことがあるため

感想
読み進める内に、心に薄く重いものが堆積していって、最終的にはかなり引きずってしまうような読後感を覚えた。
文中に、心理カウンセラーが患者の重い話を受け止めきれず心理状態が不安定になることがある、そのために心理カウンセラーのための心理カウンセラーが存在するとあったが、まさしく今そんな感じだ。

この本は、いわゆる今を生きよう!というような明るくて軽い内容ではない。私自身、今を生きるという言葉はまやかしだと思っていて、「明日をより良く生きるために今日をどう良くしていくか」という未来視点の感覚を持っているのだと思う。だいたい、今を生きるとか言ってる人は都合が良すぎる気がしているし、あまり信用していない。

ただこの本はどのように死に、そのためにどう生きるかという未来視点でのものであった。作者は安楽死をゴールの点と位置づけ、そこへ繋げる人生の線をどう描いていくのか、その中で必要な人、コト、経験は何なのかを描いている。
ゴールから見た未来視点での今を生きよう、なのだ。
そのために、自分から主体的に環境を選んでいこうという内容と私は解釈した。

死を決めるということはどう生きるかを決めることなのである。

治らないガンを宣告された著者が、自らの死をどう選び、そのためにどう生きていくかと、家族との関わり方についての大きく分けて2つの章に分かれている。

ガンは患者の身体だけでなく周囲の家族の心も蝕んでいく。
あれをすれば治る、これをすればガンは消える、等ある意味新興宗教のような類のものにもすがる気持ちになる親は少なからずいる。それは、自らを悲劇の主人公とするかのような、
[子がガンになってしまった私は可哀想]という状態だ。
それに振り回される患者。ガンは家族を壊しかねない。
それまで蓄積されてきた関係のアラが黒く育ち、家族を覆うのだ。

特に家族との関わり方について大きな印象が残っている。
人は、生まれてくる時に親も、育つ環境も選べない。
親は子を勘当する事は容易にできるのにその逆は大きな批判を受ける。それはなぜなのか。
大人になった今、自分たちは家族を選ぶ事ができる。
だから、本当に、残された少ない余命を過ごすときに邪魔になってしまうものは関係を断つという選択肢も必要だ。

自分の人生は、自分のものだ。

こういった、家族の危機、自分の危機的状況に置いては
「〜すべき」という基準で物事を考え、判断すると非常に危険である。すべき論とは他者にどう映るかに主体を置くため、選択の主体性がなくなる。こうしたときは無情ではあるかもしれないが損得勘定で動く、あるいは理屈で通す事が大切。
こうした状況では感情的な判断は袋小路になると自分が尊敬する人も言っていた。

人は誰でも間違いを起こす。
医者であれ、診断を誤ったり
処方する薬を間違えてしまう事もある。
そのためにセカンドオピニオンは必要だし
自分なりに調べた結論を持つことが必要。
医師と患者は対等であり、主従関係はない。
誰かに選択を丸投げするような事は
何にも変え難い自分自身の人生を
自分の手元から離すような事だ。

子どもが生まれたばかりの今、あまり考えたくはないけどもし万が一、自分の子がガンになってしまったら私はどうなるだろうか。この本に書かれているような子の自由を奪い、自らを悲劇の主人公として、本人の意志にそぐわないことをしてしまわないだろうか。今はそうならないようにしようと決意はできるが、その状況で冷静になれるのか。

この本は大切な一冊として、今後も読んで行きたいと思う。

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