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ストックホルムのサンセットに夏日を想う 眩しすぎた午後

 氷った湖の上をズンズンと沖の方へ歩いて行く少女の後ろ姿を、私は必死に追っていた。彼女の靴には滑り止めのための鋲が付いているので速く歩くことが出来るが、私が付いて来れていなかったことに彼女は気が付いていなかった。

 氷の上には雪が積もっていたので氷の厚さは目測出来なかった。


 数日前、同僚がチャットに書いた実況中継が思い出された。彼は湖の前の通りの最上階に住んでいる。


 「ちょうど今、スケートしている人が、氷を突き破って湖に落ちたのが見えたよ。まったく、彼らはいつになったらわかるんだ」

 氷を突き破って湖に落ちた?それはかなり深刻なことだと思うが。


 その後はどうなったかに関しての実況中継は無かった。

 スケートをしている人達は、大抵の場合、グループで来ているため、そのような場合は他の人が救助出来るという話も聞いた。

 私の氷上歩きは単なる散歩であったのでなんの救助具も持参していなかった。


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 スウェーデン人は、一般的に人前で叫ぶことはしない。叫んでいる人に遭うと眉を顰める人もいる。

 しかし、一度も後ろを振り向かない少女には、「直ちに陸地に戻るように!」と叫ぶしか私には選択肢がなかった。さいわい、彼女は即座に方向転換をしてくれた。


 ボートを所有しない私にとって、湖のど真ん中に自分の脚で立って、通常には不可能な角度と距離から市庁舎を眺めるということは、非常に希少な体験であった。

 そして、昨日の午後、そのように感じていたのは、おそらく私だけではなく、多くのストックホルム住民であったであろう。昨日、メーラレン湖の上を歩いていた住民の数は計り知れない。「住民」の中にはペットも含まれる。

 多くの人が氷上で全身に太陽の恩恵を受けようとしていた。


 しばらく一人で歩いていたら背後からデモ隊が大音声で行進して来た。何のためのデモかは聴き取れなかったが、彼らが上に掲げている旗に印刷されている顔を見て、なんとなく理解した。


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 去年の夏、細い道を歩いていた時に、突如として現れた美しい湖畔がある。

 昨日の午後は、なんとなくそこに行ってみたくなった。
 さらに、その湖の所在する方角はデモ隊の進行方向とは反対方向でもあったので、デモ隊の大音声に背後から威嚇されることもない。

 

 湖に歩いてゆく途中に、スウェーデン人の老夫婦にいきなり「一体、なんのデモなのか?」、と話し掛けられた。

 パンデミックが勃発してから、往来で道を訊ねられることも無くなった。

 「X国の民族解放運動だと思います」と返答すると、老夫婦は憂慮の表情を浮かべた。

  私に共感を求める視線を投げかけたあと、老夫婦はふたたび歩き始めた。

 憂慮の表情は、「騒ぎなら、出来れば自国でやってくれないか」、という意味であろう。

 どちらにせよ、この時勢に往来で他人に話し掛ける勇気がある人が存在した、という現象が新鮮に感じられた。

 太陽の光の中で、開放的な気分になっていたのであろうか。

 湖は、去年の夏からは完全に衣替えをしていたが、相変わらず幻想的な姿でそこに佇んでいた。


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 このような景観は、スウェーデンに移住してから目にしたことがあったであろうか?

 この景観を日本にいる家族に見せてあげたい、と切実に感じた。

 実家から一番近い海は湘南の海であるが、湘南の海で流氷を見掛けることは、おそらくないのではないか。


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風は冷たく指はほとんど麻痺していたが、私はその場を去ることは出来なかった。

 時おり、氷に亀裂が入る音が響いて来たが、それがどこの氷片から響いて来ているのかは判別出来なかった。

 私同様、厳寒の中、返り陽の中に佇んでいた人は他にも数人居た。私たちは沈みゆく太陽を惜しみながら最後の恩恵を享受していた。

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 この光景には見覚えがある。

 昨年の夏も、その前の夏も、日没時には人々が湖畔沿いで、逆光の中でユラユラと浮かんで見えた。

 人々の表情が明るくなる季節である。

 民族解放運動のデモをしていた人たちにも、

 その話を聞いて、憂慮の表情を見せた夫婦にも、

 私同様、その場を離れられず佇んでいた人たちにも、

 目標は違っても、この景観を目にすることにより、将来に関してなんらかの希望が持てるようになれたのであれば…などと、そのようなナイーブなことを切望してしまった。

  

 それほど優しいサンセットであった。


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