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たかがドレスコード されどドレスコード

 玄関のクローゼットを少し大きめに開いてみたら、一着のドレスが視界に入った。それは、クローゼットの奥で、控えめに光沢を放っていた黒い晩餐会ドレスであった。そのドレスが晴れの舞台に立てたのは過去一回だけであった。

 それはおそらく、ふたたび腕を通すこともない無用の長物であろうが、かと言って手放す気にもなれない。


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 こちらに移住したばかりの頃、知り合いの誕生パーティーに招待をされたことがある。

 「移住」といっても最初は、「移住するのだ」というような確固たる決意もなく、気が付いたら二十年の月日が経っていたというだけの話である。従って、こちらに移る前はこの国の慣習を、特に興味を持って知ろうともしていなかった。

 その誕生パーティーは、同じ月に誕生日を迎えた人たちの合同パーティーであり、百名ほどが招待されていた。どこかの宿泊施設を借り切り、各種スポーツイベントを楽しむ、という主旨であった。少なくとも、私はそのように理解していた。

 私はオレンジのTシャツとジーパン、借り物の小汚い運動靴という井出達で参加をさせて頂いた。他の方々も大概同等のレベルであった。そこで行われた球技はそこそこ楽しかった。


 そのパーティーが私を蒼白にせしめたのは夕食前の出来事である。

 夕食の会場に入った途端、私の視界に入ったものは、あたかもアメリカ映画の中で見たことのあるような光景であった。

 参加者は皆ドレスアップをしていた。女性は艶やかな化粧をして、ハイヒールにて長身をさらに強調しながら、パーティー会場でシャンパングラスを掲げていたのである。男性も皆スーツ姿で決めていた。

 その時の私の身なりと言えば、昼間と同じオレンジのTシャツとジーパン、さらに汚くなった運動靴、Tシャツには(I Love Maui)とプリントされている。招待状にはスポーツの服装、としか明記されていなかった。


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 ストックホルムの自宅に帰れば、数着の瀟洒なカクテルドレスの中からその場に合ったものに着替えて出直すことが出来た。しかし、合宿所からは簡単に戻れる距離ではなかった。

 あまりに場違いで羞恥に陥ったため、夕食は辞退させて頂こうと決め、自分の宿泊部屋に籠って居た。

 しばらくして、友人の一人が、夕食会に参加するように私を促しに来た。彼女は、自分が昼間着ていた黒いベストを貸してくれた。カクテルドレスからは程遠いがTシャツよりは気が楽になるであろうとの心遣いであった。

 結局、その心遣いに応じるためだけに、私は不本意ながら夕食会に参加させて頂いた。


 楽しいはずのパーティーが何故、このような結果になってしまったのか。


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 夕食会にはカクテルドレスに着替えることが明記されてなかったから、というよりも、私に、この国の慣習に関する知識と理解が足りなかったためである。


 この合宿のあと、私は一つの決意を固めた。

 パーティーと名の付く集いには、たとえどんなカジュアルなテーマが設けられていてもドレスを何着か持参していこう、と。

 

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 数年前、ノーベル賞授賞式の晩餐会に参加をさせて頂く機会があった。

 おそらく一生に一度の出来事であると思ったので、奮発して下写真のドレスを購入した。大柄な女性の多い北欧で私サイズのドレスを見つけることは難しい。

 ドレス専門店を数件廻り、何着も試着して、気に入って選んだドレスであった。このドレスにあう黒いショールも付けて頂いた。


 ドレスの裾は引きずるほど長かったが、当日、白いベントレーに乗って薔薇の花束を持って迎えに来てくれる男性もいなかったため、自分で裾を持ち上げながら公共バスに乗って市庁舎まで出掛けた。


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 翌日の新聞に、ノーベル賞授賞式晩餐会の招待客のドレスに関する批評が掲載されていた。評判が良かったドレスと悪趣味なドレスの写真と客が数人紹介されていた。

 私はその中の一着のドレスの写真に視線が釘付けになった。

 そのドレスは果たして、私のドレスと瓜二つであった。

 そして、そのドレスは酷評を受けていた


 衣服のセンスが悪いと人様から評されたことはないが、巷ではこのドレスは悪趣味と評価されるのかもしれない。

 以前、娘達の卒業晩餐会の時に、このドレスを貸してあげようかとオファーしたが、いずれにも辞退された。理由を訊ねても、「そんなこと、訊かなくとも自分で考えたらわかるでしょう」、との返答である。

 しかし、自分で考えてみてもさっぱりわからない。

 個人的には、赤と黒の組み合わせは最強だと思っている。

 スタンダール(本名 Marie Henri Beyle)は、小説「赤と黒」にて、ルーレットの回転盤の色、すなわち、出世に掛けようとするギャンブルのような人生を表現しようしていた、と憶測されている。

 すなわち情熱的な色彩ということだ。


 Mungo Jerryも、赤と黒のアウトフィットで、太陽が燦燦と照っているような世界を運んできてくれたではないか。

 


 しかし、いくら赤と黒が好きだと言っても、勤務先においては、常に赤と黒に身を包んでいるわけではない。

 この国においても、オフィスに相応しいアウトフィットというものがあるが、服装に関しては、清潔さと露出度にさえ留意すれば、日本よりも気を遣わなくて良いのではないかと感じる。

 日本人の知り合いの中には、上から下までブランドで決めている人などもいるが、私の場合は、大概、下の写真のような簡素な服装にて勤務をしている。いずれも比較的丈が短いワンピースであり、袖のないものであれば、上にブレザー、カーディガン等を羽織っている。オフィスに依っては温かくなりすぎるところもあるため、ニットのワンピース等は避けている。

 

 右下は勤務先におけるクリスマスパーティーのアウトフィットである。パーティーはパーティーでも自社ビルが会場となっている場合は、参加者に依っては普段着の人もあるため、セミフォーマルが適格である時もある。

 

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 ワンピースに関しては、ほとんどの場合は、南欧あるいは英国に旅行に出掛けた時に購入していた。自分のサイズが探しやすいからである。

 衣服を購入する際に私が重視していることは、洗濯機で洗えるほど生地が頑強なもので、皺になりにくく、染みが目立たず、アイロンを掛ける必要のないことである。さらに、カジュアルにもセミフォーマルにも成り得るものが好ましい。

 英国のデパートにおいて、ミッション系高校の制服が売られているところがあった。そこで購入した制服のプリーツスカートは、制服であるためか、非常に頑強で重宝している。

 また、例えば、無名で駆け出しのデザイナーたちが経営する小さいブティックなどを覗いてみると、案外、気に入ったものが見つかることもある。大量生産がされていないため、オートクチュールのようで良い。右下の旗袍(チーバオ)は実際に注文して作って頂いたものである。

 

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 ある時、葬儀に参列させて頂いたことがある。

 私は日本における冠婚葬祭の常識に準じて、紺色のワンピースを着用して行った。この時も、この国における葬儀の慣習に関しては、特に事前にリサーチをしていかなかった。

 葬儀を終えて、故人の奥様のマンションに戻る時、ある違和感を感じた。

 紺色の服を着ていたのは私だけであったのだ。

 黒い喪服を着ている人はいたが、花柄のサマードレス、水玉模様のサマードレスに身を包み、大笑いをしながら歩いている女性客が少なくなかった。


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 花柄、水玉、大笑い、結婚式でもあるまいし、と、その光景は、私の居心地を多少悪くした。

 式がはねてから、一緒に参列した友人にこの疑問を投げかけてみた。

 彼はこう返答した。

 「故人は大勢で集って騒ぐことを人生の醍醐味と感じていたんだ。あの女性達は、故人が最後まで楽しく逝けるようにと、明るい色のサマードレスで送って、故人に声が届くようにと、大音声で楽しい会話をしていたんだよ」


 そう諭されて、考えた。

 私は、葬儀の時には黒あるいは紺色の喪服を着るのが常識だと信じていたが、何故、黒か紺色でなければいけないのか、に関しては、深慮したことはなかった。

 明るい色彩のドレスで参列した人たちは、表現方法は違っていても真心から故人を偲び、惜しんでいた。紺のワンピースで参列した私は、故人に生前会ったことさえ無かった。

 結局、

 本質的なことは、何を着るべきか、ではなく、どのような理由で着るか、

 他人が期待するものを着るのではなく、自分が幸せに感じられるものを着ることではないか、と考えさせられた葬儀の一幕であった。


 将来的に、再びノーベル賞授賞式晩餐会に招待されることがあったとしたら、悪趣味と言われた赤と黒のドレスを再び着て、赤いスカーフを巻いたMungo Jerryの幻影と腕を組んで入場したいものである。


他記事を紹介させて頂きたいと思います。


 ご訪問有難う御座いました。

 仕事に忙殺されており、ご無沙汰してしまいました。成人式の時期も終わりましたが、皆様の盛装の写真があれば、是非拝見させて頂きたいものです。


 一部の写真はPixabayからお借りしました。

 女の子たちの写真(nastya_gepp)、夕食会場の写真(JamesDeMers)、花の写真(OpenClipart_Vectors)。

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