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はじめまして②

こんにちは!ライフホップのしょこたんです。
今回も私の自己紹介も含めて私の過去を振り返ってみます!

前回の続き、コロナ禍によるロックダウン以降の話です。
2020年3月14日、前日フライト確定で徹夜で荷造り、夜逃げのような状態で子供二人と私だけ東京の実家に戻ることとなり、実家でフィリピンの仕事を行うことになりました。

当然、子供たちの預け先はなく、急いで4月以降の保育園を探すことに…
なんとか認証園の保育園と幼稚園を見つけましたが、世の中は一斉休校の状況へ

実家で仕事をする生活。。。
しかし、コロナ禍という今までに経験したことのない状況下、実家での子連れで仕事をする生活は生活リズムが合わず、実家を出てAirbnbで家を借りることになりました。

幸いにも実家の近くの浅草は外国人観光客向けの民泊施設がたくさんあり、コロナ禍で閑古鳥の鳴く民泊アパートを見つけ、大家さんとも仲良くなり長期で滞在することができるようになりました。

しかし、フィリピン政府は外国からの入国を制限している為、フィリピン留学事業自体がうまく回らなくなり、同僚は解雇され、厳しい状況に…。

1~2か月くらいのつもりで日本に戻ってきたのに、外国人の入国が制限されているので、当然私達はフィリピンへは戻れず、そして夫もフィリピンへの入国ができないため、日本に戻ってくることが全くできずに1年の月日が経ちました。

在宅ワークで、大人とはほぼ誰とも話をしない毎日や売り上げの上がらない仕事にも閉塞感を感じるようになり、別のベンチャーのメーカーへ転職をしました。

元々メーカーの会社員であった私は、元の業種の仕事を始めました。
しかし当初の予定と異なり、フルタイムでの出社を求められ、保育園へはギリギリに入退室。。子供たちを寝かせた後、家で残業をする生活になりました。

給与は元々の会社員の水準を確保でき、仕事としてのスキルはあるものの、仕事に全く面白みを感じることができなくなってきてしまいました。

段々、心と体のバランスが崩れ、子供達にもきつく当たるようになりました。休日は体が鉛のように重くなって、布団から起き上がれなくなりました。

とにかく仕事をしたかった私、あんなに働きたかった私は、
心のバランスが崩れていても、仕事を手放すことができませんでした。

運よく、会社の上司が私の異変に気付き、就業時間を短縮したらと提案をしてくれたお陰で、この状況を客観的に見直す時間を取ることができるようになりました。

そして、そんな時期に夫の帰国が確定。
やっと長野で家族揃って生活することができるようになったのです…!

東京を離れるタイミングでメーカーは退職し、留学時代の職種であるカスタマーサクセスで、在宅でできる人材の仕事を見つけました。

つづく

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