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不登校初期のハナシ。その行動、いったい誰のため?/甘やかしと甘えさせは、そもそも違う


自閉スペクトラム持ちの息子

不登校初期のころ。



それは、

どうにか行かせよう、行かせようとしていた頃



毎日、欠席連絡をするのが気が重くて、

毎回、連絡ばかり申し訳ないという気持ちを持ってました。




伝えた時の先生の反応を考えるだけでしんどくて、

休むことに対してマイナスイメージしかなくて・・



以前はパニックになろうが、

学校という場所が楽しい場所だったのに、


【潰されてしまった】 という気持ちがある中で、



悔しくて、辛くて

とにかく負の感情。



そんなメンタルの母が

子どもを励ましても、【勇気づけ】には程遠く…


  《学校に行かせようとするのは、誰のため?》


漠然とした疑問が自分の中で湧いていた中で、

その疑問が確信に変わった出来事がありました。




ある日、電話口で

 管理職の先生から、


『いい加減、そろそろ来させられませんか??』と。



私にとって、衝撃の言葉だった。



その時、感情をあらわにしないように努めていた

緊張の糸がほどけて、涙が溢れた。





『散々、うちの子にトラウマを作ったのはそちらでしょう?』


なんて言いたくなるのを堪えて、


思わず『すみません。ちょっと難しくて』

と言うのがやっとで。 とにかく苦しい、そんな感じ。



・・・・・・・・・・・・・・・

なんで、『すみません』なんて

言ったんだ、わたし。



お伝えしてたことの

1ミリの配慮もなく、

パニックを量産しつづけた先生からは、

子どもへ直接『ごめんね』もなかったのに。


・・・当時、私の頭の中は、

確かにそんな感じで

完全に他責思考になってました。



・・・・・・・・・・・・・・・



 部分登校

 放課後登校

 母子登校



あらゆる方策を練り、

やっていたけれど、

心の底から、それで良いとは思えなくて




先述の

管理職の先生のセリフで

目が覚めたんです。




『これは、いったい誰のための登校なのか?

だれが幸せになるのか?』



そんなことを考えるキッカケを与えてくれたことは

間違いありません。




複雑な感情を生んだあのセリフさえも

プラスに向かうきっかけになる。



負の経験に思えることも、

ギフトに変えられる。



アドラー心理学では

【課題の分離】の必要性があると

言われていて、



《この課題の主語はいったいだれか?》

それを考えるきっかけになりました。



管理職の先生の課題は…

おそらく、

【不登校の数を減らしたい】



母の課題は…

【本人が怖がっているから、 
心理的な安全を守る必要がある】




だからこそ、休ませていい。

不登校と言われようが、本来どうだっていい。


そこが問題じゃない。



本人は…

【助けを求めること】


学校怖い。学校やめる。と

拙い言葉で、一生懸命SOSを発してくれました。




つまり、《いい加減、そろそろ》

学校に来させるのは、


管理職の先生の感情や課題であって、


私の課題でも息子の課題でもない。



心が疲れ切った我が子を守るのは、親の課題。


心理的安全の確保を探るために、

母子登校、部分登校、放課後登校を試すのは、

母と息子の共通の課題。




学校が怖いんだ!って泣き叫びたくなるような

自分の気持ちを伝えることは息子の課題。 



それぞれに立場が違えば、目的や目標も変わる。



本来の3者共通の課題は、

明白な原因だけを責めるのではなく、

どうすれば子どもが安心な場を作れるかと、

前を向くこと。・・のはずでした。




学校を休ませることを

甘やかしと思う人もいるかもしれない。

でも、本当にそうかな?


過去に

交流級の先生に

 『〇〇くんが、パニックになろうが、
 クラスの子たちは〇〇くんのこと
 嫌いにならないんです。
 うちのクラスの子たち優しいんです〜』

って言われたことがあるんですね。

きっと、悪気なんてありません。


私の認識と、先生の認識に

すごく距離を感じたし


『うちのクラス』って言葉が

支援級と交流級の壁にしか思えず

とってもアウェイに感じたんですよね。





当時、息子はパニックになると

ひたすら泣く感じで、



度合いが大きくなれば、

泣き方もひどくなる



そんな感じで。




その時の先生に、問いかけずにはいられなかった・・


それは、

  『もしも、先生のお子さんが喘息を持っていたとして、

  授業中に喘息発作で授業が止まろうが

  みんな先生のお子さんのことを嫌いにならない、と

  言われたらどう思われますか?』 ということ。

(突然パニックになるのは、発作と一緒で、本人も苦しい)




残念ながら

意図が伝わらなかったみたいだけど…



甘やかしは、

子どもの【自分でできる】チャンスを奪う。


甘えさせは、子どもが求めてきた時に応える。




この、息子の事例は、


《もう、もたないよ》って

SOSを出してくれてる。



甘えさせていい。

心が疲れて、エネルギーがない状態。



心の栄養素は

保護者や身近な大人の愛。




周りにどう思われるか? などの考えも

実は不確かで無意味なこと。




語尾に、

『かもしれないし、

そうじゃないかもしれない』


と、付け足すことで

思い込みから少し解放されます。



人間が陥りやすい思考の罠に

ハマらないようにしていこう。



  子どもの人生であり、

  私たち親の人生。



自分勝手するという意味じゃなくて、

自分の人生を好転させるためには、

ある程度心に折り合いをつけながら

線引きをして割り切ることも必要。



不登校に関しては、

その子にあった学び方や学ぶ場所を探る


本当は、

学校に戻るも戻らないも

どちらでも良くて


居場所を探ることが大切かな、と

思います。




《目的と目標はワンセット》


自閉を持っている子は、

心にネガティブな体験が残りやすい。



うちの子も3年ぐらいの間

フラッシュバックしては


悲しそうに泣いてました。


だから、時間がかかったんです。



いまは、学校という選択肢が

彼の中では難しいみたいだけど、


外に出て、体験すること

そこに少し余力が出てきた


そんな感じ。





発達凸凹している子を育てていると、

子育ての悩みも大きいのに


比例するかのように

もれなくついてくる人間関係の悩み。




それらを減らすことができるように

折れない、

しなやかな自分の軸を

持っていることが必要なんですよね。


自分を内観して

信頼できる人に話して

問題をご自分から切り離して

不必要に思えることを手放していくプロセスで


マインドセットは変化していきますよ。


人間は自分を客観視することが難しい。


お手伝いが必要な人は、個別相談で話してみてくださいね。

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