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がんStageⅣでも治す⑪ やっぱり〇〇を見るとうらやましい、いや憎たらしい

【あらすじ】
①41歳で直腸がんと診断、化学療法→放射線治療→手術により一旦、『がん』が消失、43歳で『がん局所再発』、人工肛門保有です。

②無理だといわれていた手術を阪大病院にて2024年7月3日に実施。しかし、腹膜転移により手術は中断。手術は小腸閉塞部切除&腸つなぎ合わせ+仙骨一部切除のみ。

③手術の影響で自力排尿が現在困難。自己導尿になりました。

④今後、抗がん剤治療。腹膜播種・薬の幅が狭まる。残り時間はいかに?腫瘍内科医の医師から『まだまだわからないよ。したいことどんどんしたほうがいい』と言われ落ち着く、44歳のおじさん。

StageⅣですが治します。

【本編】
病院にいる高齢者が『うらやましい』です。

町中にいる、あるいは施設にいる高齢者はなんとも思わないんですが、病院にいる高齢者が『うらやましい』、いや『憎たらしい』と思ってしまいます。

本音は『もう病院はええやん、そんだけ生きたんやから』

もう根性がねじ曲がってますね。

倫理的には、『救える命、助かる命は救われる、助かるべき』とも頭ではわかっていますが、感情がついていきませんのや。

じゃあ『自分の親にも同じこと言えるか?』と言われましたらどっちでもないです。

状況によっては言えます。

そら、長く生きててほしい気持ちもありますが、どう死ぬか、も大事やと思うんです。それはもう、本人の気持ちが最優先ですが。

『もうええわ、病院での治療は』と親が言うてましたら『せやね、もうええわな』と尊重します。※実際にそう言われました。

まだ治療があるにも関わらず、延命を少し期待できる程度の治療であれば、治療をもうせずに『死ぬ準備』をするのもひとつの生き様(死に様)と思います。

人は順番に死んでいくんですよ。

そういえば以前、高齢者施設で注意されたことがあります。

『利用者さんに生き死にの話をしないでください。みなさん、ここで穏やかに暮らしているんですから』と言われたんです。

『その話題を出すかどうかは個々の人間関係によるんじゃないのか』と思い、なんだかんだ口論になったのですが、その人が牛耳っている施設でしたので、退散することになりました。

死をタブー視する風潮ってずっとありますね。

みなさん、順番ですし、高齢者にとってみれば『もうすぐ』じゃないですか。

みなさんも本気ではないとは思いますが『お迎えはいつきてもいい』とおっしゃいます。

わたしも『死が近くにある可能性がある』状態ですので、死んだらどうなるか、ものすごく気になります。やっぱり怖いですもん。知らないこと、未知なことは怖いので調べますし、宗教にも興味が出ます。

それをみんなで話し合うほうが素敵じゃないですかね。

『あっちでまた親と会えるかもしれんね』

『また生まれ変わるかもしれない』

『三途の川の前に花畑があるって』

お話しすることで落ち着くこともありますし。

そもそも『死』について話すことでストレスで落ち込むような方にはそんな話題は振りません。

信頼しているからこその『死』の話題なんですよね。

そしてものすごく『死』は身近なのでどんどん話題にした方がいいと思うんですけど、万国共通の話題なんてそうそうないですよ。

それが宗教なんでしょうね。

知らんけど。

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