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非日常を受け入れることから始まるコロナとの付き合い方

 緊急事態宣言中、いかがお過ごしでしょうか。札幌ではロックダウンに相当する強めの外出自粛要請が出されました。
 最近、311をきっかけに出会った人たちとの再会と言いますか、久しぶりのつながりを感じています。「最近どうしてるの?」と連絡が来たり、たまたま書き込んだFacebookのコメントから話題が盛り上がったり。突然の電話なんてのもありました。今回の非常時においてなんとなくお互いに引っ張られているのかもしれません。


震災を経験した人とまた繋がる理由

 復興支援活動関係で知り合った人たちと今またこうして繋がり始めたのは本能なんじゃなかろうかと感じています。緊急事態=ヤバイ事態、この事態において頼りになる相手は誰か、または共感しあえる相手は誰かと考えるとやっぱり苦難の時期を乗り越えてきた人たちなのかな、と。そして、この大変な時期だからこそ、一緒に何かできることがあるんじゃないかという気持ちもあります。
 または、企業への発注に似ているかもしれません。車が壊れたら車屋さんに連絡するし、水道が壊れたら水道業者に連絡します。今は社会が壊れ始めているので、その時に連絡するのは、過去に社会活動していた仲間なのかなと思います。


日常を取り戻すための第一歩は?

 今回のコロナ禍は人生初のパンデミックです。二度目だという人は世界でも稀でしょう。よって、非日常なのに日常に戻りたがる心理『正常性バイアス』に囚われてしまう人たちが多いな感じています。その気持ちはよーーくわかるし、本当にしつこいかもしれませんが、震災後の状況によく似ているなと思うのです。あの時も目に見えない放射能が舞っていたけれど、311以前の日常を取り戻そうと無理にいつも通りを演じていた人たちがいました。無理すると疲れるんです。非日常なのに、それを見えないことになかったことにはできないんです。
 福島から北海道に避難してきて、親戚のようにお付き合いしている家族たちとzoomした時、彼女らも言っていました。
「まずは受け入れることだよね」
と。
 日常を取り戻すことはとても大切なミッションです。でも現実をみないことにして日常のフリをするのはストレス以外の何者でもない。新型コロナウイルスがやってきた今の日常は理不尽です。でも平等に誰しも感染リスクがある。まずはこの理不尽を受け入れることが日常への第一歩なんじゃないかと思っています。


世界中が当事者になった

 僕はずっと311の時と似ていると言い続けていますが、明確に違う点があると思っています。311の時、特に放射能問題は『福島の問題』でした。多くの方々が共感してくれたし、エールを送ってくれたけれども、それはやっぱりどこか他人事で。特に同じ県内の人間でも自分事化できていなかった人もいたし、福島のことを伝えるためにいかに自分事化してもらうかについて徹底的に悩みました。ただ、自分事化ってすごく難しい。僕自身も阪神淡路大震災や熊本地震の時は距離が遠かったからか、大変だなと同情したり共感することはあっても、正直自分ごとではありませんでした。
 それが今回のコロナは世界中でほぼ同時期に発生しており、ほとんどの国と地域で感染が確認されています。世界中に住む人々が自分事化しているのです。これってすごい事だなと思います。自分事化した後にさあ、どんな意識の変化があるのか、どう動き出すか、どのように社会が変わるのかが気になって仕方ありません。


乱世タイプ?それとも治世タイプ?

 最近の妻との話題もだいたいコロナ関係が8割。今の生活の変化自体がコロナ禍があってのことだから、それがベースにあるから必然だよね。
妻がふと言いました。
「不謹慎かもしれないけど、今の方が私らしくいれる気がする」
と。
 歴史でもよく人物を戦国時代など混沌とした世の中にこそ実力を発揮できる『乱世向き』か江戸時代など平和な時代に才能を発揮する『治世向き』かに分類しますが、妻は間違いなく乱世タイプだと思います。非常時にこそ活きるタイプ。
 僕自身のタイプはどちらなのか自分自身ではわからないけれど、トラブルの渦中に飛び込んでいってしまう性質はあるようです。311の時も安全圏にいたのに、リスクを犯して福島に舞い戻ってしまいましたし。もともと負け戦が好きな性分なんでしょうね。劣勢をどう逆転させようかという方がワクワクするんです。
 あの当時、復興をリードしてくれた方々はみんな30代後半だったなぁとふと思い出しました。気がつけば自分も今まさに30代後半。今度は自分が社会の変革をリードする気構えを持って緊急事態宣言下を過ごしていきたいと思います。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!