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この非常事態において必要性が増している『生きる力』とは

日々コロナのニュースばかりでなんだか息苦しい感じですね。自粛モードも1ヶ月以上が過ぎるとそれに耐えきれなくなってきたりするものです。非日常や緊張状態はマインドが長持ちしない。いついつまでと終わりが見えていれば目標に向かって頑張れる。コロナは現時点で終わりが見えない。しかも未だピークを迎えていない感じもあります。
そんな息苦しさを感じて、ふと思いつきで家族で久しぶりに2拠点暮らしの田舎の方、島牧村にに帰ってみました。ちゃんとそちら方面に仕事を手配しての帰省です。2拠点生活についての詳細はこちらの記事をご覧ください。



テレビやネットを見なければ日常そのもの

島牧に帰ってみて、最初に感じたことは「普通だな」ということ。村にある唯一のコンビニ、「セイコーマート」の店員がマスクを付けているくらいで、他は至って日常。もちろん、村民と会話をすれば嫌でもコロナの話題にはなるものの、世俗と切り離されているこの村は、みんないつも通りの生活を送っているように見える。島牧に来てみて、改めてこの村の良いところに触れたような気がしました。


島牧のもつ生きていく力

一昨年の北海道の震災の際もそうですが、今回のコロナでも島牧でなら『生きていけるな』と感じました。春には山菜が取れ、夏秋には耕した畑から作物が、秋にはきのこや木の実も採れます。一年を通じて海からは魚や海藻が採れるし、ご近所さんを通じて物々交換も盛ん。もちろん、トイレットペーパーやら洗剤やらの工業製品や、ガソリン、水道光熱費を賄うために多少の現金は必要です。でも、都会よりも圧倒的にその金額は少なくて済む。これらの現金も最低限政府の支援でなんとかなるかもしれませんし、支払猶予されるかもしれません。そんなことよりもまず『食うに困らない』ということが圧倒的な安心感を生むのではないかと感じました。
島牧に住んでいる友人らは自分たちで食い物も、家もなんでも作ってしまう。材料だって山や海から大抵のものは調達。東日本大震災を経験した僕らが島牧という地に憧れた理由は、災害になっても生きていける自然環境があったからなのではないかと思い出させられました。


コロナによって変わる社会

今回のパンデミックによって社会は大きく変わったと感じています。まずは働き方。働き方改革だなんだと散々言われてきましたが、なかなか変わらない、変えられない事業所が多かった。それが今回のコロナ騒動でテレワークを始め、ウェブミーティングなど半ば強制的に働き方改革をせざるを得ない状況になっています。行政や国会ですらも改革が進んでいるんだから、コロナの影響たるやすごいものがあります。
パンデミックによる良い影響なんてのは今挙げた働き方改革くらいのもので、悪い影響の方が大きいのは皆さん周知の通り。しかもピークはいつなのか、いつまで続くかもわからないときている。そんな状態なのですが、我々は生きていかなくちゃならないんです。少なくとも今年の夏にどんな状態になっているのか予測して対策を講じておかなくてはいけないと考えています。これって、マーケティングだなとふと思いました。


これからの時代に必要なのは『稼ぐ力』よりも『生存する力』

これからこのパンデミックは夏までなのか冬までなのか、はたまた1年続くのかわかりません。トランプ大統領やジョンソン首相は、「助けられない人たちが出てくる」というような発言をしました。実際そうなんでしょう。しかし、一人でも多くの国民を助けるべくなんとか努力するのが政府であり政治です。
残念なことに、今回の経済対策を見てもわかるように『国民の選別』は始まってしまっているように思います。つまり、助ける国民と助けない国民の選別です。税金の投入にだって限界があります。病床にだって限界があります。この限界から漏れてしまう人は必ず出てきます。今の経済対策、コロナ対策では、資金と身体どちらの体力もある人のみが生き残る世界です。つまり若手の資産家のような人です。中小企業経営者や自営業・フリーランス、労働者は緊急事態宣言が出されれば大方詰んでしまいます。
「お前は死ね」と言われるに等しい政府の決定を、ただ指を加えて待つだけで本当に良いのでしょうか。現状が苦しいのに、ただ待つだけの人は生きていく力が弱いと言わざるを得ません。現状を把握し、未来を見据え、自分たちが生きるための方法を考えて実行することが必要です。
戦争、震災、パンデミック、これらの国家的緊急事態において生きていくために価値があるものは何だったでしょうか。太平洋戦争では最終的には『食料』が不足しました。東日本大震災でも震災直後では安全な『食料』と『水』が不足しました。通帳にお金がどれだけあったとしても被災地では引き出せなかったし、またお金をどれだけ支払っても欲しいものは買えませんでした。非常時は現物が強い。今、金の値段が過去最高に上がっているそうですが、最終最後ゴールドは食うことはできません。このまま資本主義経済が続けばまた価値はあるのかもしれませんが、長期化すれば資本主経済の維持は怪しいと思っています。
女の男への価値判断基準は大昔から現代に至るまでそれほど大きく変わっていないと言われています。基本、戦いに勝てる『強い男』か、獲物(お金)を採ってこれる『稼ぐ男』がモテるんです。これからの時代はただ筋肉があって強くても、お金だけを稼げてもそれを発揮するフィールドがなければ意味がない。生きていけなければ仕方がない。生きる力こそ重要になってくると感じています。

ありがとうございます!これを励みに執筆活動頑張ります!